大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)323号 判決
原告
浅野友美
外七〇名
右原告七一名訴訟代理人弁護士
鬼追明夫
外一四名
被告
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右指定代理人
高橋欣一
外二名
右訴訟代理人弁護士
道工隆三
被告
大阪府
右代表者知事
黒田了一
右訴訟代理人弁護士
道工隆三
外三名
被告
大東市
右代表者市長
川口房太郎
右訴訟代理人弁護士
俵正市
外六名
主文
一、被告らは各自
(一) 原告宮城忠儀を除く原告らに対し、各金六〇万円及び内金五五万円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、
(二) 原告宮城忠儀に対し、金四六五万三、八〇〇円及び内金四五五万三、八〇〇円に対する前同日から支払済みに至るまで前同割合による金員を、
それぞれ支払え。
二、原告宮城忠儀のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は被告らの負担とする。
四、この判決は第一項に限り
(一) 同項(一)については無担保で
(二) 同項(二)の内金六〇万円については無担保で、その余の金員については金一〇〇万円の担保を供することにより、
いずれも仮りに執行することができる。
事実
(当事者の求めた裁判)
第一、請求の趣旨
一、主文第一項(一)同旨。
二、被告らは各自原告宮城忠儀に対し、金一、〇五五万七、七五〇円及び内金九六〇万七、七五〇円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三、訴訟費用は被告らの負担とする。
四、仮執行宣言。
第二、請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
一、原告らの請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
三、担保を条件とする仮執行免脱宣言。
(当事者の主張)
第一請求原因
一、本件水害の発生
原告らは昭和四七年七月当時、大東市野崎一丁目及び同市北条一丁目の別紙図面(一)記載番号一ないし七一の場所に居住していたものであり、昭和四七年七月一〇日午後九時頃から同月一三日午後二時頃まで降り続いた雨(以下七月豪雨という)により、概ね同月一二日午後から同月一四日正午頃までの間、床上三〇ないし七〇糎に及ぶ浸水の被害(以下本件水害という)を受けた。
二、被告らの責任
(一) 谷田川の設置、管理の瑕疵(被告国、同大阪府の責任)
1 谷田川の概況とその管理者
(1) 谷田川の概況
谷田川は標高257.2米の桜池を源とし、生駒山系飯盛山附近の水を集めて急峻な山系を流下し、国道一七〇号線下は暗渠で抜け(以下この暗渠の出口(別紙図面(二)でaと表示する場所)をa点という)、その後は急速に流れを緩め、西へ約三〇〇米流れて南転し、国鉄片町線に沿つて約八五〇米南進した後西へ折れ、同所から約一、二五〇米の大東市深野一丁目で寝屋川に注ぎ込む寝屋川水系の一支川であつて、右a点から寝屋川合流点までに全長僅か約二粁であり、その流域面積はa点上流で0.846平方粁、全体でも3.94平方粁に過ぎない小河川であり、また、天井川である。
そして、谷田川は、昭和四〇年四月一日に大東市北条一丁目一番地先の久作橋(別紙図面(一)表示の場所)から寝屋川合流点までが、昭和四一年四月一日に久作橋の上流端からa点までがそれぞれ一級河川に指定された。
(2) 谷田川の管理者
被告国は河川法九条一項、昭和四〇年政令四三号により一級河川を管理するものであり、同法九条二項、昭和四六年建設省告示第三九六号により大阪府知事をしていわゆる機関委任事務として谷田川の管理の一部を行なわせているものであり、また、被告大阪府は同法六〇条二項により谷田川の管理費用を負担するものである。
2 本件水害当時の谷田川の状況
(1) 谷田川の改修
谷田川は天井川であつて土砂の堆積がひどく、また、近年近郊の宅地開発に伴ない山林田畑の降雨貯溜能力が低下したことにより、谷田川へ流入する水量が飛躍的に増大し、水害発生の危険性が予見されたため、被告国及び同大阪府は、谷田川が一級河川に指定された直後の昭和四一年頃谷田川の改修計画を作成するに至つた。そして、右計画によれば、既往最大実績降雨量一時間61.8耗を最大時間雨量とし、流出係数(降雨か河川に流出する割合)を0.7としてラショナル式法により算出した毎秒二〇立方米の流量をもつて計画高水流量とし、谷田川上流部分(a点から南へ屈曲する地点附近までの間)の堤防は上幅5.56ないし5.75米、底幅四米、高さ2.6ないし2.92米、勾配は二〇〇分の一とし、下流部分(前記屈曲地点から西へ屈曲する地点附近までの間)の堤防は上幅7.99ないし8.44米、底幅六米、高さ3.32ないし4.07米、勾配は五五〇分の一とするものであつて、右計画に基づく改修工事は昭和四六年度中に完成の予定であつた。
しかし、昭和四七年七月までに右改修計画に基づき行なわれた改修工事は、昭和四二年までに片町線複線化工事に関連して久作橋の上流約一一〇米の地点から上流へ四一八米の区間、昭和四四年に万国博関連工事として同橋下流二一五米の地点から下流へ一四六米の区間だけであつた。
(2) 未改修部分の存在及び土砂の堆積
したがつて、昭和四七年七月当時、谷田川のうち片町線野崎駅前約三二五米の区間は未改修のままであり、右区間のうち特に久作橋の上流約二〇米の狭窄部北端の地点(別紙図面(二)でcと表示する場所、以下c点という)においては、河道の上底幅1.8米、高さ1.15米という状態で極端に狭くなつていて流量を制限しており、さらに、右未改修部分については、一級河川指定後、昭和四二、三年頃一度浚渫がなされたのみであり、その後は全く浚渫がなされなかつたため、本件水害当時は右地点において河底から七五糎もの土砂が堆積し、しかも、河川上にまたがつて家屋が存在したため、疎通部の高さは僅か四〇糎に過ぎず、著しい隘路となつていた。
3 谷田川の溢水と浸水状況
(1) c点からの溢水と浸水状況
谷田川c点が右のような状態であつたため、七月豪雨の際は同点から次に述べるとおり多量の水が溢れて原告ら居住地域へ流入し、原告ら家屋が浸水するに至つた。すなわち、七月一〇日夜からの降雨により、翌一一日午前八時には谷田川の外水(河川内を流れる水)はc点で満水状態となり、徐々に溢水を始め、溢れ出た水は別紙図面(一)記載の野崎観音への参道沿いの井路(以下甲路という)に流入した。その後、いつたん雨量が減少したため溢水も止つていたが、翌一二日朝からの集中降雨により、同日午前九時頃から再びc点からの溢水が始まり、水は甲路に流入した。そして、この溢水は同日正午過ぎからますます激しくなり、おびただしい水が濁流のごとく甲路に流れ込んだ。しかし、後記どおり、甲路はもともと浚渫がなされておらず、土砂等の堆積により受水排水能力がほとんどなかつたため直ちに満水、溢水し、原告ら居住地域に流入、浸水が始まつた。右溢水状況を野崎参道において観察すると、同日午後四時頃は赤壁薬局附近から東はいまだ全く冠水状態になく短雨靴でも通行しえたが、久作橋附近の参道は約三〇糎冠水しており、その後c点からの溢水による増水のため東に向つて徐々に冠水し、午後五時頃には株式会社東和建設(以下東和建設という)前では長靴でも通行できない状態となつた。そして、原告ら居住地域への流入は同日午後から夜半にかけて継続し(この間c点からの溢水が続いていたことは勿論である)、翌一三日午前三時頃ピークに達し、谷田川外水面と原告ら居住地域の冠水面が同一となつた。もつとも、右の浸水にはc点からの溢水に相前後する後記乙、丙路からの溢水も加わつていたことはいうまでもない。そして、同日はピーク時から幾分減水した程度の状態が続き、翌一四日朝になつて被告大東市が設置した排水ポンプによつて次第に水位が下り、一部地域では同日午前中に床上の水は引いたが、原告ら居住地域全体についてみれば、浸水状態から完全に脱したのは一六日であつた。
(2) 水理計算による実証
ところで、c点から多量の溢水があつたことは次の水理計算からも明らかである。
まず、七月豪雨時におけるc点への到達流量を算出するに当つては、a点から西へ約二〇〇米の地点にある暗渠の出口(別紙図面(二)でbと表示する場所、以下b点という)を基準とすべきである。
何とならば、流量計算に当つては、できるだけ計算が容易であり、正確な答が求められ、かつ、測定点に近い個所を基準点に選ぶべきところ、b点には上流側にコンクリート製の暗渠があつて、その高さ、幅ともに計測が容易であり、しかも、この暗渠出口の直下流が段落ち部となつているため、この段落ち部において限界水深が発生し、b点を通過する水の流最計算は他点に比して最も容易、かつ、正確と考えられるからである。
そして、b点における通過流量は、計算の結果毎秒2.66ないし4.54平方米であり、これに、別紙図面(二)記載のA5流域を流れる南津の辺水路から谷田川に流入する流量、すなわち、毎秒一ないし二立方米を加えると、c点への到達流量は毎秒3.66ないし6.54立方米となる。ところで、c点における疎通能力は土砂の堆積によつて、別紙水理計算書(一)のとおり、毎秒0.76ないし0.92立方米に過ぎなかつたから、結局c点からは毎秒2.74ないし5.78立方米という多量の溢水があつたわけである。
4 谷田川の設置、管理の瑕疵と本件水害発生との因果関係
(1) 谷田川の設置、管理の瑕疵
① 河川の設置、管理の瑕疵
元来河川には、一定流域における自然水等を河道に集中させ、流水を溢水氾濫させることなく安全に流下させ、よつて洪水等による災害の発生を防止することが要求されるのであつて、このことは河川法の諸規定に照らしても明らかである。そして、そのためには、少くとも計画高水流量の水を安全に流下せしめるだけの機能、構造を備えていることが必要であり、右機能、構造を欠いている場合には、河川が通常有すべき安全性を欠いているといわなければならない。
② 谷田川の附置、管理についての具体的瑕疵
(ⅰ) 未改修部分の放置
前記のとおり、昭和四一年には谷田川改修計画が作成され、これに従つて部分的な改修が行なわれたが、右改修部分に挾まれた野崎駅前約三二五米の区間は未改修のまま放置され、特にc点より下流は極端な狭窄部分となつていた。もつとも、河川の改修には現代技術の粋を尽してもある程度の日時を要し、全区間の改修を即日完成させることが不可能なことはいうまでもないが、原告ら居住地域は四囲を天然堤防で囲まれた窪地で湛水しやすい地域であり、これまでもしばしば浸水に見舞われている災害多発地域なのであつて、かような地域にあつては、速かに河川改修に着手し、これを完成させることが必要であることは、河川法一六条三項からも明らかである。しかるに、前記区間は、原告らのたび重なる陳情にもかかわらず、改修計画の工事完成予定時期である昭和四六年度を過ぎても全く改修されていなかつたのである。
(ⅱ) 浚渫の懈怠
前記のとおり、未改修部分の浚渫は、谷田川が一級河川に指定された後、昭和四二、三年頃に一度なされたのみであり、その後は右部分の浚渫は全くなされなかつた。しかし、谷田川は天井川であることからも明らかなように、古くから土砂の堆積しやすい川であり、加えて、昭和三五年頃以降の上流地域の急激な宅地化の進行により、河道における土砂の堆積はますます激しくなつた。したがつて、このような状態の河川においては、かなりの頻度で定期的に浚渫を行ない、流水の疎通能力を確保しておくことが河川管理上必要不可欠である。しかるに、被告国、同大阪府は右のとおり永年浚渫を怠つていたため、本件水害時にはc点において河底から七五糎もの土砂が堆積し、疎通部の高さは僅か四〇糎に過ぎなかつた。
(ⅲ) 設置、管理の瑕疵
以上のとおり、未改修部分の放置と浚渫の懈怠により、c点の疎通能力は最大毎秒0.92立方米に過ぎず、右は谷田川の計画高水流量毎秒二〇立方米をはるかに下回るものであり、また、右計画高水流量を離れて考えた場合でも、谷田川上流の宅地化の進行や遊水池の埋立により、流域の降雨貯溜能力が低下して谷田川に流入する水量自体が飛躍的に増大しているうえ、c点上流部分が改修されたことによつてc点への到達流量がさらに増大している状況に鑑みるときは、c点が右のような僅かな疎通能力しか有していなかつたことは、河川として極めて危険な状態にあつたものであり、したがつて、本件水害当時の谷田川の状況は、河川が通常有すべき安全性を備えていたとは到底いえず、その設置、管理に重大な瑕疵があつたことは明白である。
(2) 本件水害発生との因果関係
本件水害の最大の原因が、前記のような谷田川の設置、管理に瑕疵があつたため、c点から多量の水が溢水したことにあることはすでに述べたところから明らかである。
5 被告国、同大阪府の責任
以上のとおりであるから、被告国は国家賠償法二条一項により、同大阪府は同法三条一項により、それぞれ原告らが本件水害により蒙つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。
(二) 本件水路の設置、管理の瑕疵(被告大東市の責任)
1 本件水路の概況とその管理者
(1) 本件水路の概況
前記甲路及び別紙図面(二)記載の北条一丁目を流れる二本の水路(このうち南側の水路を以下乙路、北側の水路を以下丙路といい、甲、乙、丙路を以下本件水路と総称する)は、明治時代から存在し、昭和三二年頃までは農業用水路として利用されて来たが、現在では附近の宅地化に伴ない事実上家庭汚水や雨水の排除の用に供される排水渠としての機能のみを有しているものであり、その具体的状況は次のとおりである。
甲路は通称参道井路といわれ、野崎観音への参道の南側に沿つて野崎一丁目と北条一丁目の境界辺を西進し、谷田川と片町線の下を内径六〇糎の暗渠管を通じサイフォン現象を利用して西方へ流下しており、降雨時の流域は概ね谷田川以東野崎一丁目の北半分、丙路以南、野崎二丁目の一部に及ぶものである。
乙路は北条一丁目五番地先附近に端を発して同一、二、三番地先の境界辺を西進し、かつては谷田川に注いでいたが、昭和四二年の谷田川改修の際、谷田川合流点に存した水門及び排水ポンプが除去され、その後右合流点附近は土砂で埋められて谷田川へは合流しなくなつた。
丙路は四支線水路からなつており、北条一丁目のうち、概ね北は谷田川以南、同以東、乙路以北、東は国道一七〇号線を越えて北条七丁目に至る広範囲の地域の家庭汚水や雨水を受水し、北条一丁目一〇番地先で高さ七八糎、幅二米の水門を通つて谷田川に合流する上底幅約一米、高さ約一米のコンクリート製の水路である。
(2) 本件水路の管理者
① 被告大東市は地方自治法二条二項、三項二号に基づき本件水路を管理するものである。
本件水路が現在において有する機能は前記のとおりであるが、原告ら居住地域にそれが設置され、住民の使用、便益に供されている意義目的は、汚水と雨水を排水処理することによつて地域住民の保健衛生の向上と浸水被害の防止に寄与し、窮極的には大東市の健全な環境を保全することにある。したがつて、本件水路は大東市の生活関連の公共施設として、その管理についても右水路の実情をふまえ、それが存する地域の地形等の諸事情を把握し、それに応じた個別的管理をなし、その有する機能を十分発揮させなければならないのであつて、右の点からすれば、本件水路は国あるいは大阪府による広域的、画一的管理になじむものではなく、住民の福祉を増進させるための地方的事務として、地域住民に最も密接した行政主体、すなわち被告大東市の管理に委ねるのが最適というべきである。それゆえ、本件水路の管理は、地方自治法二条二項、三項二号所定の地方公共団体の固有事務として、被告大東市がその権能と義務を有しているというべきである。
なお、本件水路は河川法の適用または準用のない、いわゆる法定外公共物であるが、その管理事務が地方自治法一四条二項所定の必要的条例事項である「行政事務」に該当するものであるならば、条例を制定しない限り、地方公共団体はその事務の処理を行ないえなくなる筋合である。しかし、右「行政事務」とは、地方公共団体が地方公共の利益に対する侵害を防止または排除するために住民の権利を制限し、自由を規制するような権力的作用を営む事務を指称するところ、本件水路の管理は、前述のごとく、専ら住民の福祉を増進し、その利益になる反面、住民の権利を制限し、または自由を規制するなどその権利義務に影響を与えることはほとんどないのであるから、必要的条例事項たる「行政事務」には該当しないというべきである。したがつて、本件水路の管理事務は条例の有無にかかわらず、被告大東市のなすべき固有の事務である。
② 被告大東市は下水道法二六条一項の準用により本件水路を管理するものである。
下水道法二条五号、同法施行令一条二号によれば、都市下水路とは、主として市街地における下水(汚水または雨水)を排除するためには地方公共団体が管理している下水道で、当該下水道の始まる個所の管渠の内径または内のり幅が五〇〇粍以上で、かつ、地形上雨水を排除することのできる地域の面積が一〇ヘクタール以上のもので都市下水路として指定したものをいい、その管理は同法二六条一項により市町村が行なうものとされている。
本件水路のうち、甲、丙路はその起点の内のり幅は五〇〇粍以上であつて、比較的広い地域の汚水や雨水を受水しており、特に甲路の集水区域の面積は一一ヘクタールにも及んでいる。右のような甲、丙路の構造及び前記機能からみれば、それは下水道法所定の都市下水路に該当する排水渠というべく、ただ同法二七条一項の指定を欠いているに過ぎないものである。そして、同法二六条一項は、地方自治法二条により排水路の維持、管理を地方公共団体の固有事務とした趣旨及び都市下水路の公益的、地域的性格を考慮してその管理権限を市町村に専属させたのであり、右の立法趣旨からすれば、単に同法二七条一項の指定を欠くのみで、実体としては都市下水路としての機能を果している本件水路(特に甲、丙路)については、同法二六条一項を準用し、被告大東市にその管理の機能と義務を帰属せしめ、管理主体を明確にすることこそ、地方自治の本旨にも合致する所以である。また、同法二七条一項の指定は、排水管渠その他の排水施設としてすでに公共の用に供されている実体はそなえている下水道について、単に下水道法の適用範囲を明らかにする行為に過ぎず、公物性取得の要件たる公用開始行為ではないというべきであり、指定の有無によつて管理者及び管理の程度はいささかも左右されるものではないのである。
③ 被告大東市は本件水路の事実上の管理者である。
仮りに、被告大東市が本件水路に対する法律上の管理権限を有しないとしても、同被告は、次のとおり、事実上本件水路を管理しているものである。
すなわち、甲路についてみれば、谷田川と片町線の下を通じるサイフォン管は同被告が設置したものであり、不十分ながら自らの費用で甲路の浚渫も行なつている。また、本件水害後にはその改修に着工するとともに右サイフォン管も従前の内径六〇〇粍のものから疎通力の大きいものに取り替え、昭和四七年一〇月下旬には三〇馬力の排水ポンプも設置した。また、丙路については、昭和四一、二年度に同被告の費用で改修工事を行なつている。
右のように、同被告は、本件水路に関し通常管理者が行なうような種々の行為をしており、さらに、容易に本件水路の瑕疵を修補しえて損害の発生を防止しうる立場にあるものである。
ところで、国家賠償法二条一項の責任主体には、次の理由により、事実上の管理者も含まれると解すべきである。すなわち、同法二条一項は民法七一七条を発展させたものであつて同条の特別法の関係に立つものであると考えるか、あるいは、両者は土地の工作物が国または公共団体の設置、管理するものか、私人のものかによつてその適用範囲を異にするに過ぎないと解されるところ、民法七一七条によつて第一次的に工作物責任を負う占有者とは、工作物を事実上支配し、その瑕疵を修補しえて損害発生を防止しうる関係にある者を指すのであつて、右趣旨からすれば、国家賠償法二条一項の管理者には、営造物は事実上管理し、その瑕疵を修補しえて損害発生を防止しうる関係にある者を含むと解すべきであるからである。
したがつて、被告大東市は、本件水路の事実上の管理者に過ぎないとしても、国家賠償法二条一項の責任主体たることを免れえない。
④ なお、原告らは、従前、本件水路が被告国の所有である旨主張していたが、昭和五〇年七月一五日の第一六回口頭弁論期日において右主張を撤回した。
2 本件水路の状況
甲路は昭和四二年以後全く浚渫されたことがなく、本件水害当時は土砂や廃棄物等が堆積し、しかも、昭和四四年一二月頃野崎一丁目五番地先の東和建設前に埋設された六〇〇粍のヒューム管はつまつており、また、谷田川と片町線の下を通じるサイフォン管の疎通能力も劣悪であつた。そして、乙路は、前記のとおり、谷田川との合流点が埋められ、堀池のように汚水がたまり、全く疎通能力を欠いていた。さらに、丙路もまた土砂堆積のため十分な疎通能力がなかつた。
3 本件水路の溢水と浸水状況
七月豪雨の際においては、前記のとおり、丙路が土砂の堆積によりほとんど疎通能力を欠いていたため、その受水地域に降つた雨水は北条一丁目六番地先と同所九番地先で溢水し、それが南側へ溢れ出て乙、甲路へ流れ込んだ。しかし、前記のとおり、乙路の水も谷田川へは流入しなかつたため、乙路かられ出た水は甲路へ流れ込み、それがさらに原告ら居住地域へ流入した。そして、前記のとおり、谷田川c点からの溢水と相まつて浸水を生じたのであるが、原告ら居住地域における浸水の状況は、すでに(一)、3(1)で述べたとおりである。
4 本件水路の設置、管理の瑕疵と本件水害発生との因果関係
(1) 本件水路の設置、管理の瑕疵
① 公の営造物の設置、管理の瑕疵
国家賠償法二条一項所定の「公の営造物」とは、行政主体により特定の公の目的に供される有体物及び物的設備を指称し、所有権の帰属いかんにかかわらず、公共団体が事実上管理する状態にあるものをいい、その設置、管理における同条同項の「瑕疵」とは、営造物が通常有すべき安全性の欠如あるいは通常備えるべき性質または設備を欠いていることをいう。
ところで、本件水路は、前記のとおり、実質上都市下水路として、地域住民の日常の家庭汚水や雨水の排除の用に供されている物的設備であり、少くとも被告大東市が事実上管理するものであるから、「公の営造物」に該当するものである。なお、下水道法上の指定処分等行政手続上の有無は公の営造物と認めるにつきいささかも消長をきたすものではない。
(2) 本件水路の有すべき機能、構造
従来下水道の果す役割は、一般的には生活環境の改善であり、家庭排水を良くしたり、水洗便所を普及させることであつた。しかし、近時下水流域内における急激な宅地化及び道路の舗装化に伴なつて雨水の浸透率が著しく低下し、加えて人口の急増により使用水量が増加したため、流域内に降つた雨の下水道への流入が極めて早くなり、豪雨時には一時に雨水が下水道へ集中して流入し、浸水被害が生じやすくなつた。したがつて、今日における下水道の果す役割は、生活環境の改善に加えて、雨水を完全に排除することによつて浸水を防止し、安全快適な環境を作ることにある。そして、このことは、下水道法の適用を受ける下水道施設のみならず、実質的に下水道としての機能を有する本件水路のごとき排水渠についても当然要求されるべき機能である。
これを本件水路についてみるに、原告ら居住地域は窪地であり、低湿地であつて、いつたん滞水すれば排水は極めて困難な状況にあり、また、周辺田畑の急激な宅地化及び道路の舗装化に伴なつて雨水の浸透率は著しく低下しており、加えて、地下水の過剰揚水による地盤沈下も激しい状況にあるところ、本件水路は原告ら住民にとつて唯一の排水渠であり、特に甲路の集水面積は一一ヘクタールに及んでいるのであつて、これらの状況に鑑みれば、本件水路には、家庭汚水や雨水を滞水、溢水せしめることなく安全に谷田川または他の排水施設に流下せしめる機能、構造を備えることが要求されるのである。
③ 本件水路の設置、管理についての具体的瑕疵
(ⅰ) 浚渫等の懈怠
前記のとおり、本件水害当時、丙路は土砂の堆積のために十分な疎通能力がなく、乙路も埋立によつて谷田川への流入が妨げられ、さらに、甲路もまた土砂等が堆積して滞水し、谷田川と片町線の下を通じるサイフォン管の疎通能力も劣悪であつたのであるから、本件水路を浚渫し、乙路を改修して谷田川と接続させ、あるいは甲路のサイフォン管を疎通能力の大きなものと取り替えるなどの措置が講じられるべきであつたのに、原告らのたび重なる陳情にもかかわらず、これらの適切な措置は全く講じられていなかつた。
(ⅱ) 排水設備の欠缺
本件水路のうち、甲路が最も原告ら居住地域の家庭汚水や雨水の排除に重要な役割を担つていることは地形上明らかであるから、本件水害当時甲路に排水ポンプが設置されておれば、いわゆる内水や丙路、乙路から順次溢水して来た水も甲路で完全に受水し、谷田川に排除しえたことは明らかである。
(ⅲ) 設置、管理の瑕疵
以上のとおり、浚渫等の懈怠により本件水路の疎通能力が不良であつたことは、本件水路が排水渠として通常備えるべき性質を欠いていたといわなければならず、また、甲路に排水ポンプが設置されていなかつたことは、甲路が排水渠として通常備えるべき設備を欠いていたものであり、本件水路の設置、管理に瑕疵があつたことは明らかである。
(2) 本件水害発生との因果関係
以上のとおり、本件水害は谷田川の設置、管理の瑕疵と相まつて本件水路の設置、管理の瑕疵に起因するものである。なお、昭和四八年五月二日のメイ・ストームにおいて、大東市は総雨量六八粍、時間最大雨量二〇粍の強雨に見舞われ、当時も野崎駅前の未改修部分は従前のまま放置されていたが、被告大東市が本件水害後の昭和四七年一〇月下旬甲路に三〇馬力の排水ポンプを設置していたため、甲路からの溢水はなく、原告ら居住地域は浸水を免れたのであり、右事実は、本件水路の設置、管理の瑕疵と本件水害発生の間の因果関係を裏付けるものということができる。
5 被告大東市の責任
以上のとおりであるから、被告大東市は国家賠償法二条一項により、原告らが本件水害により蒙つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。
(三) 本件水害時における排水処理の遅延(被告大東市に対する予備的請求原因)
被告大東市には、地方自治法二条三項八号、水防法三条、災害対策基本法五条等により、災害が発生した場合においては、その被害の拡大を防ぎ、災害を復旧し、罹災者を救護するなどの責務があり、ことに本件水害のように防災上緊急を要する場合には、被災地の浸水の排除及びそのための措置、指導等災害対策基本法六二条所定の応急措置を速かに講じなければならない義務があるといわなければならない。
しかるに、同被告は本件水害の発生に際しこれらの義務履行を懈怠し、原告らが家屋浸水後同被告に対し早期排水を強く要求していたのにもかかわらず、七月一四日午前三時頃に至つて漸く小型排水ポンプ二台を久作橋約七米附近に設置して排水を開始するという措置を講じたに過ぎない。
したがつて、同被告の右のような排水処理の遅延が原告らの損害を増大せしめたものであり、同被告は国家賠償法一条による責任を負わねばならない。
(四) 被告国、同大阪府の責任と同大東市の責任との関係
本件水害が谷田川c点からの溢水(外水)及び本件水路からの溢水(内水)に起因することはすでに述べたとおりである。そして、原告ら家屋の床上浸水に対する内水及び外水の寄与度を明確にすることは不可能であるが、内外水が合して床上浸水の被害をもたらしたことは明白である。
ところで、共同不法行為が成立するためには、各人の行為がそれぞれ独立して不法行為の要件(故意・過失、権利侵害(違法性)、損害の発生、因果関係、責任能力)を備えていること及び行為者の間に客観的な関連共同性が存在することが必要であると説かれている。しかし、前者については、不法行為者各人について不法行為の要件を立証しえたならば、各人は当然に民法七〇九条によつて不法行為責任を負わなければならないのであり、行為の関連共同性という要件を付加するところの共同不法行為の規定は無用のものとなること、及び不法行為者各人について故意、過失等の要件、特に因果関係の厳しい立証を被害者に要求することは結局被害者に受忍を迫る結果になることを考えるときは、共同不法行為の成立要件としての因果関係については、共同行為と結果発生との間の因果関係の存在で足りると考えるべきある。そして、不法行為者間にいわゆる強い関連共同性がある場合は、共同行為と結果発生との間の因果関係が立証されれば、各人の行為と結果発生との間の因果関係の有無にかかわりなく、不法行為者は発生したすべての損害を補償する責任を負うものとみなされ、不法行為者間にいわゆる弱い関連共同性しかない場合は、共同行為と結果発生との間の因果関係が立証されれば、各人の行為と結果発生との間の因果関係が法律上推定され、不法行為者において各人の行為と結果発生との間に因果関係が存在しないことを立証しない限り免責されないと解すべきである。
これを本件についてみるに、被告らの共同行為と原告らの被害との間に因果関係があることは先に述べたとおりであり、また、被告らの間には次のとおり強い関連共同性があるとみるべきである。
1 本件水路及び谷田川で構成される排水磯構は連続した一体のものとして存在し、いずれも家庭汚水や雨水を安全に流下せしめるべき磯能的な関連性を有する。そして、本件水路の管理者が被告大東市であり、谷田川のそれが被告国及び同大阪府であつて、その管理主体を異にするのは、それぞれの合理的、効果的な管理を実現するための手段に過ぎず、排水機構の連続一体の本質に影響を及ぼすものではない。
2 谷田川の改修は、被告国の国土総合開発計画や防災計画を基本にして樹立された被告大阪府の大阪地方計画及び地方防災計画に基づいて行なわれており、さらに、本件水路の改修等については、右計画に基づいて被告大東市が大東市総合計画や地城防災計画を樹てることになつている。そして、被告大阪府は、次のとおり、同大東市の右施策を指導し、これに対して財政的援助を行なつているのであつて、行政面においても被告らは一体となつて有機的にこれを行なつている。
(1) 大阪府知事は谷田川改修に当り、昭和四六年六月五日大東市長に対し、未改修部分上にある家屋の住民を退去させる事務を委託している。
(2) 被告大阪府は寝屋川合流点に設置した量水計を被告大東市に管理させている。
(3) 甲路の東和建設前にヒューム管を埋設するに際し、同社をして被告大東市を経由して大阪府知事へ公有水面埋立許可を申請させている。
3 谷田川c点からの溢水と本件水路からの溢水は時間的に接着している。
以上の理由によつて、被告らの行為は共同不法行為を構成することが明らかであるから、被告らは連帯して本件水害により原告らが蒙つた損害を賠償しなければならない。
三、損害
(一) 包括一律請求
1 本件被害の実態と特質
原告らは本件水害によつて、単に浸水期間のみならず、一夏中にわたつて生活の場を破壊され、基本的な生活条件を奪われた。
(1) 浸水中の生活状況
平家建家屋居住者は床上浸水のためすべて知人、親戚宅や四条小学校その他の公共施設に避難せざるをえず、二階建家屋居住者はそれぞれ二階を避難場所としたが、いずれも特に就寝、食事、用便には極めて不自由な状況にあつた。
(2) 退水後の労苦
退水後は家屋の復旧及び清掃作業に多大の労苦を強いられた。
(3) 家屋及び家財の損害
家屋についてはいずれも壁、床の剥落、剥離及び汚損の被害を蒙つており、建具についてもほとんど使用不可能の状態となつた。また、原告後藤綾子、同橋爪桃太郎を除く原告が数多くの家財を汚損され、使用不能のため廃棄せざるをえなくなつたものも多い。
(4) 休業損害
復旧作業遂行のため、欠勤又は休業を余儀なくされた者も少くない。
(5) 特別損害
金銭的に評価不可能な損害として、原告浅野友美は研究用資料を、同中村房吉は愛蔵していた貴重な写真を失い、その他の原告においても多かれ少なかれかかる資料や愛蔵品を失つた。
(6) 健康上の被害
濁水の中での長時間の生活及びその後の復旧作業のため、原告らのうち二四世帯から冷え込みまたは過労による病人を出すに至つている。
(7) 精神的損害
長時間にわたる洪水の恐怖及び右(1)ないし(6)記載の各種被害のために、原告らが著しい精神的苦痛を受けたことは言うまでもない。
以上は、原告らにほぼ共通の被害の概略を述べたものであるが、その被害の具体的、詳細な内容は各原告について多種多様であり、個別的にこれを把握して評価、集積することは、後記原告宮城忠儀の場合の営業上の損害のごとく明確に算出可能なものは別として、極めて困難であり、また、それはかえつて本件被害の実態にそぐわないものである。何とならば、本件水害によつて破壊されたものは、物的要素と人的要素とが不可分一体となつて構成している原告らの生活そのものだからである。すなわち、原告らの平穏な家庭生活の利益を破壊されたことが本件被害の特質である。
2 包括請求
右のような本件被害の特質に鑑みるときは、その損害の評価は財産的損害と精神的損害とに分離してなしうるものではなく、家庭生活が物的要素と人的要素とが混然として有機的に結合し、不可分一体としての価値をもつものである以上、本来的に包括的算定方法によらざるをえないものといえる。そして、右包括請求は、理論的にも、不法行為における損害とは、当該不法行為によつて被害者が現実に蒙つた利益侵害そのものと考えるべきであり、付随的損害は損害額の算定(金銭評価)の資料に過ぎないという近時の損害賠償理論からも是正されるものである。
したがつて、原告らは、本件水害によつて原告らの家庭生活の利益が侵害されたことそれ自体を損害として包括的に把握し、これを金銭に評価することを主張するものである。それは、右に述べたことからも明らかなように、単に財産的損害(床上浸水による家屋、家財等の減価の集合)でもなければ、精神的損害でもなく、また、その両者の単なる合計でもないのである。
3 一律請求
そして、右のような家庭生活の利益は、個人の幸福追求の権利が平等であるのと同じく、各家庭ごとに何らその価値に大小があるものではなく、特に、本件被害が概ね二日間に及ぶ三〇ないし七〇糎の床上浸水によつて原告らに一様に生じたものであることを考えるときは、その評価は各世帯ごと、すなわち各原告ごとに平等であるべきである。
4 損害額
右のような本件水害による生活利益の侵害を金銭に評価すれば、各原告につき五五万円を下らないことは明らかである。
(二) 原告宮城忠儀の営業上の損害
1 原告宮城は肩書住所地において昭和四六年四月以降精肉販売業を営んでおり、また、野崎一丁目二番二三号に豚の解体工場を所有しているものである。
2 七月豪雨による谷田川c点からの溢水のために、七月一二日午前一〇時頃から右解体工場は浸水し始め、また、同日午後三時頃から同原告の住居兼店舗においても浸水が始まつた。そして、同日深夜には右住居兼店舗においては約一米の、また、工場においては約一米三〇糎の各水深となり、同月一四日朝まで右浸水状態が継続した。
3 同原告は店舗内に冷蔵庫二基及び陳列ケース一台(いずれも冷却機械設備等附属設備を含む)を所有し、ここに牛骨付肉六〇〇キログラム、豚骨付肉二、四〇〇キログラム及び牛、豚正肉一、〇〇〇キログラムを保存していた。また、工場内には冷凍庫、冷蔵庫各一基(いずれも冷却機械設備等附属設備を含む)を所有し、右冷凍庫内に冷凍豚肉を保存していた。ところが、右浸水によつて、冷蔵庫、冷凍庫及び陳列ケースすべてに水が入り、冷却機械設備は故障して停止したため、保存中の肉類はすべて腐敗するに至つた。
4 そこで、同原告はやむなく北谷油肥工業所において、右肉類を肥料用として合計三万三、〇〇〇円で売却せざるをえなかつた。また、冷蔵庫、冷凍庫等もすべて損傷したため、同原告は冷蔵庫一台はその附属機械設備とともに買い替えをなし、他は修理する結果となつた。以上の損害の明細は別紙損害明細書記載のとおり合計九〇五万七、七五〇円であり、これを前記家庭生活の利益侵害による損害五五万円と合せて請求する。
(三) 弁護士費用
原告らは本訴の提起、追行を本訴訟代理人に委任したが、弁護士費用としては、原告宮城を除く原告らは各五万円、原告官城は九五万円をそれぞれ請求する。
四、結論
よつて、被告らに対し、原告宮城を除く原告らは六〇万円及び内金五五万円に対する本件不法行為の日である昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を、原告宮城は、一、〇五五万七、七五〇円及び内金九六〇万七、七五〇円に対する前同日から支払済みに至るまで前同割合による遅延損害金の連帯支払をそれぞれ求める。
第二請求原因に対する答弁並びに主張
一、被告国、同大阪府の答弁並びに主張
(一) 請求原因第一項(本件水害の発生)中、原告らのほとんどが昭和四七年七月当時その主張の場所に居住していたこと、右原告らが七月豪雨により床上浸水の被害を蒙つたことはいずれも認めるが、その被害の程度は不知。
(二) 同第二項(一)、1、(1)(谷田川の概況)及び(2)(谷田川の管理者)はいずれも認める。
(三) 同第二項(一)、2、(1)(谷田川の改修)中、被告国及び同大阪府が谷田川改修計画を樹立するに至つた理由及び谷田川改修計画に基づく改修工事が昭和四六年度中に完成の予定であつたことはいずれも否認し、その余は認める。
河川改修計画は、河川の高水流量等からどのように改修すべきであるかとの河川改修の技術的な基本を定めたものであり、通常この改修計画では改修の実施時期、完成予定時期についてふれられることはない。谷田川についても、一級河川指定直後に計画流量、計画洪水位を求め、改修断面等を定めた改修計画を作成したものであり、そこでは実施について何の予定もされていない。計画された河川改修の実施予定時期は、改修区間が水系中で占める位置、工事の規模、毎年の投資可能な予算等から決められるものであり、谷田川については、昭和四七年度を初年とする第四次治水五ケ年計画の中で完成する予定で、昭和四六年度から着手したものである。なお、谷田川を含む寝屋川水系の河川改修に関し、大阪府総合計画審議会が昭和四二年に大阪府知事に答申した大阪地方計画においては、寝屋川水系改修計画を昭和四六年までに完成することを目標とする旨うたわれているが、右は一つの行政目標を定めたに過ぎず、右計画は具体的な実施計画ではないのであるから、右文言をとらえて谷田川の改修が昭和四六年度に完成すべく計画されていたということは当をえない。
(四) 同第二項(一)、2、(2)(未改修部分の存在及び土砂の堆積)中、片町線野崎駅前約三二五米の区間が未改修であつたこと、昭和四二、三年頃(正確には昭和四二年一一月二八日から昭和四三年二月一五日までの間である)右未改修部分を含めて一度浚渫がなされたのみであること及び未改修部分の河川上にまたがつて家屋が存在したことはいずれも認めるが、その余は否認する。
(五) 同第二項(一)、3、(1)(c点からの溢水と浸水状況)中、浸水のピークが七月一三日午前三時頃であつたことは認めるが、その余は否認する。
1 七月豪雨の規模
七月豪雨は近来まれにみる豪雨であつたが、それは高雨量であつたとともに長雨であつたことに特徴があった。すなわち、大阪府枚方土木事務所における観測記録によれば、この期間の総雨量は284.5ミリ、二四時間最大雨量は187.5ミリ(七月一二日午前六時から翌一三日午前六時まで)、時間最大雨量は二〇ミリ(七月一一日午前五時から六時の間)であつて、このような雨量がいかに異常なものであるかは、大阪地方における年間総雨量が約一、三〇〇ミリであり、したがつて、年間雨量の五分の一強が四日間に降つたことになること、七月一二日午前六時から翌一三日午前六時までの二四時間雨量は、大阪管区気象台の最近一〇か年間(昭和三八年から昭和四七年まで)で最大であることからも窺えるのである。そして、このような異常豪雨のため、寝屋川流域の各所において多大の被害が発生し、浸水個所は百数十個所、浸水面積一、七八八ヘクタール、床上浸水家屋五、九二三戸、床下浸水家屋三〇、四二二戸にも達したのである。
2 原告ら居住地域の浸水状況
原告ら居住地域の浸水は、七月一二日午前一〇時ないし一〇時三〇分頃、最も地盤の低い原告尾崎行弘方において、甲路から逆流した水が側溝及び排水口から溢れたことに始まり、それ以後、同日早朝からの多量の降雨による雨水が国道一七〇号線の東側の傾斜地から右国道を越えて原告ら居住地域へ流入、滞溜して非常な勢いで増水し、午後三時頃には野崎参道上で数十糎冠水し、午後三時頃には右路上の深い所で大人の太もものあたりまで水に浸る程になり、これが翌一三日午前三時頃ピークに達し、片町線の線路まで冠水する状況であつた。なお、野崎駅西側も原告ら居住地域と同様の浸水状況にあつた。このような状況からして、七月一二日午後五時頃には谷田川の外水面と原告ら居住地域の冠水面とが同一になつたと考えられ、それ以後は久作橋附近の谷田川は冠水の中に没してしまつたわけである。そして、このことは、原告ら居住地域への内水の流入がいかに多く、かつ、急激であつたかを示しているのであり、仮りに、谷田川からの溢水があつたとしても、それは浸水初期の段階においてであり、原告ら居住地域の浸水にはほとんど影響を与えなかつたといわなければならない。なお、c点からの溢水がほとんどなかつたことは、原告ら提出の本件、水害時の写真中にc点からの溢水状況を撮影したものが全く存しないことからも明らかである。
3 浸水の原因―内水洪水
原告ら居住地域の浸水は、雨水が同地域に滞溜したことによつて生じたいわゆる内水洪水によるものである。すなわち、同地域に降つた雨及び各所から同地域に流入して来る雨水は、本来甲路から谷田川と片町線の下を通じるサイフオン管を通つて西方へ流れ出るか、または、丙路から谷田川に流れ込むかのいずれかであるが、前者については、サイフオン管の疎通能力が極端に低下していたこと及び当時片町線西側も原告ら居住地域と同様の浸水状態にあつたことからその流出量は僅かであり、また、後者についても、丙路から谷田川への流入個所に土砂の堆積があり、しかも、谷田川の水位が上つていたことにより流出量は零に等しかつたため、結局、原告ら居住地域に滞溜した水は他に流出不可能の状況にあつたのであり、この滞溜水の増加により同地域は浸水するに至つたのである。
そして、右の事実は、谷田川c点への到達流量及び内水滞水量についての水理計算の結果、谷田川の外水位と原告ら居住地域の浸水位とが同一となつたのは七月一二日午後五時頃であり、同時刻における外水の割合が、別紙水理計算書(二)Ⅶ及び表九記載のとおり、零ないし0.1パーセントに過ぎなかつたことからも裏付けられるのである。
以上を要するに、原告ら居住地域の浸水は、異常な降雨量と低湿地であることによつて地域内の水が滞水して生じたいわゆる内水洪水によるものであつて、谷田川の溢水によつて生じたものではなく、七月豪雨時に数多く発生した寝屋川流域における他の個所の浸水と性格的に異なるところはないのである。
(六) 同第二項(一)、3、(2)(水理計算による実証)は争う。
原告らの水理計算は次の点で誤つている。
1 原告らはb点の通過流量をもつてa点への到達流量計算の基礎としているが、a点の方が流量をより制限しているのであるから、a点の通過流量をもつて計算の基礎とすべきである。
2 原告らは、別紙図面(二)記載のA5流域の水がすべて南津の辺水路を通つて谷田川に流入したことを前提として計算しているが、同流域においても相当広範囲の家屋浸水があつたものであり、その雨水は同流域の西側にも流出していたのであるから、右前提には誤りがあり、さらに、谷田川は天井川であるから、水位が上れば反対に同流域に逆流することも考えられ、本件浸水時にもむしろ逆流もしくは静止状態にあつたとみられるのである。したがつて、同流域からの内水流入は零と考えるべきである。
3 c点において、仮りに、原告ら主張のとおりの土砂の堆積があつたとしても、c点の疎通能力は、別紙水理計算書(二)Ⅳ記載のとおり、毎秒2.3立方米である。
(七) 同第二項(一)、4、(1)(谷田川の設置、管理の瑕疵)中、昭和四一年に谷田川改修計画が作成され、これに従つて二区間の改修が行なわれたが、野崎駅前約三二五米の区間が未改修であつたこと、原告ら居住地域が湛水しやすい地域でありこれまでもしばしば浸水に見舞われている災害多発地域であること、昭和四二、三年に未改修部分の浚渫がなされたのみであることはいずれも認めるが、その余は否認する。
谷田川を含め三十余の支川を持つ寝屋川水系の治水対策は、古くから大阪における治水対策の最重点事業として今日まで継続して行なわれて来た。これを事業実績からみると、昭和四七年では大阪府の河川改修事業費総額119.5億円の約四八パーセントに当る57.4億円が寝屋川水系に充てられている状況である。そして、このような寝屋川水系の改修事業の一環として谷田川の改修計画が立てられたものであるが、河川の改修は原則として本川の下流から順次工事を進め、しかる後支川に及んで行くものであるから、改修計画が立てられたからといつて直ちに着工するわけではなく、全体の進捗状況を勘案して必要性の高いところから順次行なうことになるのであり、谷田川についても、寝屋川本川の改修において相当の進捗をみたので、本格的な改修工事は昭和四六年四月より着手したのである。ただ、野崎駅前上流区間については片町線複線化関連工事として、外環状線下区間については万国博関連工事としていずれも例外的に繰上げて行なわれたものであり、未改修部分が改修計画より特に遅れたということはない。
また、谷田川の改修については、野崎駅前の谷田川上の十数戸の家屋の立退が先決であり、その交渉打診は昭和四三年頃から始められたが、交渉は難航していた。その後、昭和四六年六月五日被告大阪府は同大東市に対し立退及び用地買収を正式に委託し、同被告が鋭意折衝に当つていたのであるが、その矢先に本件水害が発生したのであつて、被告国及び同大阪府が未改修部分の改修を放置していたわけではないのである。
なお、被告国及び同大阪府が谷田川の改修等に関し文書による陳情を受けたのは、本件水害後に被告大東市より提出を受けた寝屋川水系の早期改修とそれまでの低堤防区間の応急工事を要望した要望書が最初である。
(八) 同第二項(一)、4、(2)(本件水害発生との因果関係)は否認する。
七月豪雨による原告ら居住地域の浸水が、異常な降雨と右地域の地理的状況に起因する内水洪水によるものであることはすでに述べたとおりである。したがつて、いかに昭和四三年以降谷田川の浚渫がなされており、また、未改修部分が改修されていたとしても、原告ら居住地域に貯溜した内水が排除される手段がない限り浸水は避けられなかつたのである。このことは、昭和四七年九月台風の際、谷田川c点からの溢水がなくとも原告ら居住地域に浸水被害があつたこと、その後、甲路にホンプが設置されてからは、昭和四八年五月二日のメイ・ストームの時にも全く浸水がなかつたこと、また、昭和五〇年七月三日から四日にかけての降雨の際、谷田川が既に改修済みであるにもかかわらず、甲路のポンプの作動が遅れたため原告ら居住地域において一部床下浸水がみられたこと、などの事実からも明らかである。以上のとおり、七月豪雨による浸水は原告ら主張のような谷田川の管理の瑕疵とは何ら因果関係がない。
(九) 同第二項(一)、5(被告国、同大阪府の責任)は争う。
1 河川のごとき自然公物についての管理の瑕疵については、仮りに、その責任を全く否定し去ることができないとの立場に立つても、その特殊性が十分考慮されるべきである。すなわち、河川のほとんどは自然発生的なものであつて、そこにひそむ問題点も数年あるいは数十年に一度の洪水という異常事態によつて知り得る場合が多く、その治水対策も本質的に後追い的な要素をもつている。ことに、最近の社会的、経済的情勢の急激、かつ、大規模な変化はますますその要素を強めており、本件においても、十数年前までは田畑が雨水を貯溜してさほど問題は起きなかつたのに、急激な宅地化が家屋浸水という被害を招くに至つたのであり、右の状況を典型的に示しているといえる。
2 次に、治水対策はその工事範囲が非常に大きく、かつ、大規模であり、そのため莫大な費用と日時を要する。ことに、市街地の河川の改修は必要用地の買収からして容易でなく、また、今日のごとく社会情勢の変化が予想以上に早い場合、実施途中で計画自体の変更を余儀なくされることがあり、工事の完成を延引させる原因にもなる。しかも、こうしてでき上つた対策もやがては十分なものではなくなり、次の対策が求められるようになるのであつて、このように治水対策は際限なく続く特徴をもつており、完全無欠なものはありえないのである。
3 以上のような治水対策の特殊性を考えるときは、相当な財政的投資を行ない、その時の最善の技術を用いて治水対策が講じられている限り、洪水等の自然現象による被害が生じたからといつて直ちに行政主体にその責任を問うことはできず、かかる意味において河川の管理責任には限界があり、これを限定的に考えるべきである。
そして、谷田川を含む寝屋川水系河川についても、前記のとおり、被告大阪府は他の水系に最優先して巨額の財政投資を行ない、長年月にわたり着々と河川改修を遂行していたものであり、その河川管理の責任は十分果して来ているのであつて、本件のごとき異常な降雨による水害についてはもはや河川管理責任の限界を超えているものであつて、被告国、同大阪府に対しその責任を問うことはできないというべきである。
(一〇) 同第二項(四)(被告国、同大阪府の責任と同大東市の責任との関係)の主張は時機に遅れた攻撃方法であり、却下されるべきである。仮りに、右申立が理由ないとしても、右主張は争う。
(一一) 同第三項(損害)は否認する。
二 被告大東市の答弁並びに主張
(一) 請求原因第一項(本件水害の発生)中、原告伊藤隆を除く原告らが昭和四七年七月当時その主張の場所に居住していたこと、原告伊藤隆、同宇野勝彦を除く原告らが七月豪雨により床上浸水の被害を豪つたことはいずれも認めるが、その余は不知。
(二) 同第二項(二)、1、(1)(事件水路の状況)中、乙路について、昭和四二年の谷田川改修の際排水ポンプが除去されたことは不知。その余は認める。
(三) 同第二項(二)、1、(2)(本件水路の管理者)中、本件水路が法定外公共物であること、被告大東市が甲路を浚渫するなどして事実上本件水路を管理していることはいずれも認めるか、その余は否認する。
1 本件水路は建設省所管の国有財産であつて、その管理権は、建設省設置法三条、国有財産法九条三項、同法施行令六条二項により、昭和二四年二月一九日付建設大臣と大蔵大臣との協議及び同年三月一六日付大蔵大臣から建設大臣宛の回答に基づき、建設省所管国有財産取扱規程二条、四条、建設省所管国有財産取扱規則三条をもつて、国の機関としての大阪府知事に委任されているものである。現に、大阪府知事は、右委任に基づき公有土地水面使用規則を制定し、右規則により、東和建設が甲路を使用することを許可し、その使用料金を徴収している。
また、本件水路のうち、甲、乙路の全部及び丙路の北条一丁目三番地一一先以西の部分については、淀川左岸土地改良区が土地改良事業の一環として、土地改良法一五条、二条二項一号に基づきその維持管理を行なつているものである。
2 地方自治法を根拠とする主張に対して。
(1) 地方自治法二条二項、三項二号は、河川、用排水路等を設置、管理し、またはこれらを使用する権利を規制することを国の事務に属しない限りにおいて普通地方公共団体が処理すべきことを定めているのであるが、用排水路の設置、管理については、前記のとおり、現行法制上都道府県知事の機関委任事務であることが明白であるから、地方自治法の右規定の適用はない。
(2) また、財産管理と機能管理(行政管理)とを区別する考え方は実定法上何ら根拠がなく、明文の特別規定が存しない限り、所有権者または財産管理権者が機能面の維持、管理を行なう義務を有するものと考えるべきである。さらに、用排水路の実態や機能面を理由に法的管理権の存否を論じることは、管理権帰属の時期や管理権の内容が不明確となり妥当ではない。したがつて、市町村が用排水路の管理権を有すると考えることは現行法の解釈上は不可能であり、立法論に過ぎないというべきである。
(3) 用排水路の管理は、一面公共の利益を確保、増進するための行為であるが、他面水害防止などその目的を達成するためには、一定の行為制限及び違法行為排除のための除去命令や原状回復命令等権力的な行為規制が必要であり、住民の権利義務に大きな影響を及ぼすものである。したがつて、このような管理行為は必要的条例事項たる行政事務であつて、条例を制定しない以上処理できないものである(地方自治法一四条二項)。そして、右行政事務条例の制定についても、前記のとおり、用排水路の管理権が都道府県知事に存するのであるから、国または都道府県知事から市に対する管理権の委任がない以上、市がこれを制定することはできず、現行法上右管理権の委任を認めた規定は存しない。
3 下水道法準用の主張に対して。
原告ら居住地域の地形上、甲路の集水地域面積は、灌漑面積4.2ヘクタールと灌漑区域外面積2.0ヘクタール、合計6.2ヘクタールであり、七月豪雨当時乙路の集水が甲路に流入していた実情を考え、乙路の集水地域面積2.9ヘクタールを加えても一〇ヘクタールに満たない。したがつて、本件水路は下水道法、同法施行令に規定する都市下水路の実質的要件を欠き、同法二七条の指定をなしえないものである。
4 事実上の管理者であるとの主張に対して。
被告大東市が事実上本件水路を管理していたのは、本件水路が都市排水路の用途をも備え、市民生活に密接な関係を有している実態に鑑み、住民奉仕を目的とする行政責任を遂行する観点から、あくまでも事務管理としてなした事実行為に過ぎない。
5 原告らの、本件水路が被告国の所有である旨の主張の撤回に対して。
被告大東市は、原告が本件第一六回弁論期日において、本件水路が被告国の所有である旨の従前の主張を撤回したことに異論がある。なぜならば、被告大東市は原告らの右従前の主張事実を認め、これを前提としてその後の審理がなされて来たからである。そして、本件水路の管理主体が被告大東市であることは原告らが従来から主張しているところではあるが、管理権の帰属についてはその所有権の有無、帰属と密接な関係を有するところ、原告らの右主張は本件水路が被告国の所有であることを前提としていたものであり、この前提事実の主張を撤回してあらためて管理権の所在を論じることは新たな主張といわなければならず、被告大東市がもはやこれに対する主張、立証をなす機会を有しない本件審理の最終段階においてこれをなすことは時機に遅れた攻撃方法であり、民訴法一三九条一項により却下されるべきである。
(四) 同第二項(二)、2(本件水害当時の本件水路の状況)中、乙路と谷田川との合流点が埋められていたことは認める。東和建設前に埋設されたヒューム管がつまつていたこと及び丙路に土砂が堆積していたことは不知。その余は否認する。
甲路は昭和四二年九月二七日から一〇月一六日まで、昭和四五年三月二五日から同月三一日まで、同年五月二九日から六月一二日まで及び昭和四六年七月六日から同月一九日までの間それぞれ浚渫が行なわれており、また、前記ヒューム管は八〇〇耗である。
(五) 同第二項(二)、3(本件水路の溢水と浸水状況)中、丙路が原告ら主張の地点から溢水したことは不知。その余は否認する。原告ら居住地域の浸水の状況、原因については、一、(五)記載の被告国、同大阪府の主張(但し、本件水路が不備であるとの点は除く)を援用する。
(六) 同第二項(二)、4、(1)(本件水路の設置、管理の瑕疵)は否認する。
河川、用排水路などの自然公物については、運河、公園等の人工公物と比較してその管理の瑕疵の有無の判断には種々の特殊性が存し、特に、本件水路のごとき用排水路については、堤防等の溢水施設を備えることが要請される河川と異なり、自然のまま放置しておいたというだけでは、通常有すべき安全性を欠くものとしてその管理に瑕疵があつたということはできない。
(七) 同第二項(二)、4、(2)(本件水害との因果関係)は否認する。
七月豪雨による原告ら居住地域の浸水は、本件水路に流入すべき水が溢れ出て生じたものではなく、同地域一帯の降水量及び流入量自体が本件水路の受水可能限度を超えていたことによるものであり、本件水路の浚渫又は排水設備の設置によつて防止しうる性質のものではなかつたのである。すなわち、七月豪雨時には、甲路附近一帯が浸水し、その水位と谷田川の水位は同一となつていた。また、甲路の流末である谷田川下流の取水口附近も溢水し、片町線の東西両側深野新田一帯が野崎駅構内の線路に達する高さまで冠水していた。このため、甲路下流の水が逆流して増水していたうえに、甲路上流からの水や乙、丙路を越えて流れ込んだ水によつて原告ら居住地域が浸水したものであつて、このような状況下では、いかなる規模の排水ポンプが設置されていたとしても滞水を谷田川に排水すること自体不可能であり、また、その水量は本件水路の受水可能限度を超えたものであつたから、本件水路をいかに浚渫していたとしても浸水を回避することは不可能であつた。したがつて、原告ら居住地域の浸水は本件水路の設置、管理の瑕疵に起因するものではないのである。
なお、仮りに、原告ら主張のように、谷田川c点からの溢水が浸水の原因であるとすれば、前記の状況に加えて、谷田川から甲路へ多量の水が流れ込んで来たことになり、なおさら本件水路の管理の瑕疵は問題となる余地がなく、谷田川の溢水を浸水原因として本件水路の設置、管理の瑕疵を主張することは主張自体両立しえないものである。
(八) 同第二項(二)、5(被告大東市の責任)は争う。
(九) 同第二項(三)(本件水害時における排水処理の遅延)は否認する。
被告大東市は、七月一四日午前三時頃以前から原告ら主張場所に小型排水ポンプを設置していたが、原告ら居住地域一帯の高水位の浸水のため排水ポンプが作動しうる状況ではなかつた。しかし、排水ポンプが作動可能な状態になつた後は、エンジン付ポンプ五台(口径四インチ三台、口径三インチ二台)を使用して排水し、同日午後には、大阪生駒線道路の排水に使用していた大型水中ポンプ二台を投入し、同日夜半には一応排水を完了したのである。右のとおり、被告大東市は可能な限りの排水措置を講じて来たのであつて、結果的に原告ら居住地域の浸水が継続していたとしても、排水措置を懈怠したとはいえない。
(一〇) 同第二項(四)(被告国、同大阪府の責任と同大東市の責任との関係)は争う。
(一一) 同第三項(損害)は否認する。
第三被告らの主張に対する原告らの反論
一、被告国、同大阪府の主張に対して。
(一) 浸水が内水洪水によるものである旨の主張に対して。
1 七月豪雨の異常性について。
七月豪雨について被告国、同大阪府主張のような雨量が観測されたことは認める。ところで、右被告らは、七月豪雨が異常であることの理由として、二四時間雨量が最大であることをあげている。しかし、谷田川のような小河川について雨量を問題とする場合は、時間雨量ないし一〇分間雨量を基準とすべきである。現に谷田川改修計画における計画高水流量は既往の時間最大実績降雨量を基準に算出されている。そして、七月豪雨の時間雨量は約二〇粍でさほど大きくなく、また、一〇分間雨量は最大一二粍に過ぎないのであつて、七月豪雨は決して被告国、同大阪府の主張するような異常なものではなかつたのである。
2 水理計算について。
a点の通過流量をもつてc点への到達流量の基礎とすることは不適切である。何とならば、当時山の斜面からa点に到達した水は国道一七〇号線をくぐる暗渠だけではさばき切れず、同国道の路面上を越流し、その一部はa点より下流で再び谷田川へ流入し、他の一部は内水として各排水路へ流下していたのであり、このような複雑な水理条件の下にあつたa点においてその通過流量を計算することは無理であり、仮りに、計算しえたとしても、右のとおり、同国道の越流水の一部はa点より下流で再び谷田川へ流入しているのであるから、その計算の結果は下流の流量については何らの意味をもたないからである。
(二) 谷田川上の家屋立退交渉の主張について。
右主張は時機に遅れた防禦方法であり却下されるべきである。仮りに、右申立が理由ないとしても、右家屋はその敷地を被告大阪府からの占有許可に基づき使用していたものである。
(三) 昭和五〇年七月三日から四日にかけての降雨による浸水について。
右降雨の際、原告ら居住地域において一部床下浸水があつたことは認めるが、その浸水の決定的原因は南水路(別紙図面(二)参照)の水門のハンドルが被告大東市において保管されており、その閉塞が適切を欠いたため用水門からの逆流水が生じたことにあつた。
(四) 被告国、同大阪府に責任はない旨の主張に対して。
1 財政上及び技術上の制約による河川管理責任の限界について。
営造物が安全性を欠く以上、財政的理由によつて責任を免れることができないことはいうまでもなく、また、谷田川の未改修部分の改修工事が放置されていた事実からみれば、右改修工事が技術的(時間的)に不可能であつたといえないことは明らかである。
2 自然公物であることによる河川管理責任の限界について。
谷田川については、いわゆる自然公物論はあてはまらない。何とならば、上流山間部の自然発生的な部分はともかく、一級河川に指定されている部分は、改修前からブロック、石壁等により人工的に堤防が築かれていることからして人工の構造物であつて、自然を利用した人工の公の営造物というべきものであるからである。
二、被告大東市の主張に対して。
(一) 本件水路の管理権が機関委任を受けた大阪府知事にある旨の主張に対して。
1 本件水路は、以下の理由により国有財産法三条二項二号の公共用財産には該当しないというべきである。
すなわち、国有財産法二条一項は、国有財産となる原因の一として、法令の規定により国有となつた財産をあげており、従来より改正地所名称区別(明治七年太政官布告一二〇号―以下太政官布告という)により国有として存置されたものも法令の規定により国有となつた財産であると説かれ、公共物は右太政官布告を根拠に私有のものを除いてすべて国有であると主張されて来た。しかし、太政官布告は地券発行に当つての地所の名称を区別し、租税賦課の対象となるべき土地を明らかにすることを目的としたものであり、これによつて所有権の得喪変更を定めようとしたのではないのである。したがつて、太政官布告をもつてすべての公共物に国の所有権が確立されたとはいえない。
さらに、太政官布告は、「日本国憲法施行の際に現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和二二年法七二号)によつて失効しているから、国有財産法二条一項にいう「法令の規定」とはなりえない。仮りに、右失効によつても、一たん取得した所有権まで消滅するものではないとしても、その後制定された国有財産法(昭和二三年法七三号、昭和二八年改正前のもの)は、従来国有財産の一である公共用財産に属するとされていた河川、道路等を行政財産から除外してこれらの財産を公共物と呼び、これについては積極的な規定を設けなかつた。これは、いわゆる公共物についてはこれを国有の財産として規定する従来の考え方を排斥し、専ら公共のための財産としてその管理の面だけをとりあげていこうとする趣旨と解すべきであるから、この国有財産法の制定により公共物は国有でなくなつたことになり、右太政官布告をもつて「法令の規定」と考えることはできない。
以上のとおり、本件水路は国有財産法三条二項二号の公共用財産には該当せず、したがつて、同法九条三項の適用もないのであるが、本来、本件水路のような法定外公共物については、これを所有権の対象とする認識は稀薄であり、これに強いて国の私所有権を認めなければならない必要性は全くなく、それより重要なことは、そのものを公共物として本来の機能を得せしめるための維持管理の機構であり、この維持管理のための公物管理権は、私所有権の存在、帰属とは関係なく公物であること自体から認められるものであるから、公共物については私所有権の帰属を問うことなく単にその管理権を論ずることで十分である。
2 次に、昭和二四年二月一九日の建設大臣と大蔵大臣との協議については、その当時の国有財産法は、前記のとおり、公共物を国有財産法上の国有財産と扱つていなかつたとみるべきであるから、その限りでは無意味なものであり、その効力はない。この点について、右協議書には、「公共物たる普通財産」と記載されているが、国有財産法三条三項所定の普通財産とは、原則として特定の行政目的に供されない財産であつて収益財産又は財政財産と称されるものであり、公共物とは明らかにその性質が異なるうえ、普通財産であれば大蔵大臣の所管であつて建設省所管とはいえないのであるから、その意味からも右協議には疑問がある。
3 さらに、建設省所管国有財産取扱規則三条は、都道府県所属の国有財産及び処分に関する事務は都道府県の長において処理するものとしているが、右「都道府県所属」の意味を都道府県に存在すると解することは到底不可能であり、他に法定外公共物を都道府県に所属せしめる旨の規定は見当らない。したがつて、右規則をもつて本件水路の管理権を大阪府知事に委任した根拠とすることはできない。
(二) 本件水路の管理権が淀川左岸土地改良区にある旨の主張に対して。
本件水路は昭和三二年頃まで灌漑用水路として使用されていたが、その後は灌漑用水路としての用途は廃止され、それに伴なつて右土地改良区は事実上も本件水路を管理していない。
(三) 本件水害時においては排水ポンプが作動しうる状況になかつたとの主張に対して。
右主張は、昭和四八年五月二日のメイ・ストームの際には排水ポンプが作動して、谷田川未改修部分の直下流に甲路の流水を排水させ、浸水の被害を免れている事実に照らすときは到底首肯できない。
(証拠)〈略〉
理由
一本件水害の発生
(一) 原告らと被告国、同大阪府間
〈証拠〉によれば、原告らは昭和四七年七月当時、大東市野崎一丁目及び同市北条一丁目の別紙図面(一)記載番号一ないし七一の場所(但し、原告伊藤隆については同市野崎一丁目六の四)に居住していたものであり、いずれも七月豪雨により概ね昭和四七年七月一二日午後から同月一四日正午頃までの間、床上三〇ないし七〇糎に及ぶ浸水の被害を受けたものであることが認められる。
(二) 原告らと被告大東市間
原告伊藤隆を除く原告らが昭和四七年七月当時、その主張の場所に居住し、原告伊藤隆、同宇野勝彦を除く原告らが七月豪雨により床上浸水の被害を豪つた事実については当事者間に争いがなく、前掲甲第三〇号証の五並びに弁論の全趣旨によれば、原告伊藤隆が大東市野崎一丁目六の四に居住していたことが、右甲第三〇号証の五及び前掲甲第三〇号証の七〇によれば、原告伊藤隆、同宇野勝彦が七月豪雨により床上浸水の被害を蒙つたことが、前掲甲第三〇号証の一ないし七一によれば、原告らの右浸水の程度は、概ね昭和四七年七月一二日午後から同月一四日正午頃までの間、床上三〇ないし七〇糎に及ぶものであつたことがいずれも認められる。
二被告らの責任
(一) 谷田川の管理の瑕疵(被告国、同大阪府の責任)について。
1 谷田川の概況とその管理者
谷田川が生駒山系中標高257.2米の桜池を源とし、原告ら主張の地域を流れて寝屋川に注ぎ込む寝屋川水系の一支川で、その長さ、流域面積が原告ら主張のとおりの小河川であり、かつ、天井川であること、そして、昭和四〇年四月一日に大東市北条一丁目一番地先の久作橋から寝屋川合流点までが、昭和四一年四月一日に久作橋の上流端からa点までが、それぞれ一級河川に指定されたこと及び被告国が河川法九条一項、昭和四〇年政令四三号により一級河川である谷田川を管理し、大阪府知事が同法九条二項により谷田川の管理の一部を行ない、被告大阪府が同法六〇条二項によりその管理費用を負担していることはいずれも当事者間に争いがない。
2 本件水害当時の谷田川の状況
谷田川が一級河川に指定された後、昭和四一年頃谷田川の改修計画が作成されたこと、右谷田川改修計画の内容が原告ら主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。原告らは、右改修計画に基づく改修工事の完成予定時期が昭和四六年度中であつた旨主張し、成立に争いのない乙第二四号証(昭和四二年大阪地方計画)中には、寝屋川水系改修計画を昭和四六年度までに完成することを目標とする旨の記載があるが、〈証拠〉によれば、寝屋川水系中、谷田川に関する改修計画は国鉄片町線複線化工事に関連して昭和四一年頃急拠作成されたものであつて、同計画中には具体的な完成予定時期は定められていなかつたこと、そして、昭和四一年に片町線複線化の関連工事として、また、昭和四四年に万国博の関連工事として、それぞれ後記のとおり谷田川の一部につき改修工事が行なわれたが、その他は改修工事が行なわれていなかつたこと、その後、昭和四六年に作成された実施計画において昭和五一年を完成予定時期とすることが定められたのであるが、本件水害を契機として、昭和四七年一〇月、東大阪地域防災総合対策連絡会議が設置され、同会議において右改修工事を昭和四九年度中に完成するよう変更されたものであることが認められ、右事実に照らすときは、前掲乙第二四号証中の記載は、谷田川を含む寝屋川水系の改修計画完成の行政目標を昭和四六年と定めたものであつて、具体的な谷田川改修工事計画の完成予定時期を昭和四六年度中と定めたものではなかつたと解すべきである。
そして、前記谷田川改修計画作成後、昭和四二年までに片町線複線化工事に関連して久作橋の上流約一一〇米の地点から上流へ四一八米の区間の、昭和四四年に万国博関連工事として同橋下流二一米の地点から下流へ一四六米の区間の各改修工事が行なわれたこと、したがつて、その間の片町線野崎駅前約三二五米の区間が本件水害当時未改修のままであつたこと、谷田川の浚渫については、昭和四一年以降本件水害に至るまで、右未改修部分を含めて昭和四二年一一月二八日から昭和四三年二月一五日までの間一度なされたのみであること及び前記未改修部分の河川上にまたがつて家屋が存在していたことはいずれも当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、前記のとおり、谷田川のうち久作橋の上流約一一〇米の地点から上流は昭和四一年頃片町線複線化工事に関連して既に改修がなされ、その川幅も五米ないし八米に拡幅整備されていたのであるが、既改修部分と未改修部分の接点からやや下流にあたるc点では、その川幅が1.8米、堤防高が1.15ないし1.26米となつていて、そのすぐ上流の川幅が約五米であつたのに比べると、急激、かつ、極端に狭くなつており、そのうえ、c点及びその附近の河床にはかなりの土砂が堆積していたこと、したがつて、c点ではその上流部分に比べ流量が著しく制限されていた状況にあつたことが認められる。
3 谷田川の溢水と浸水状況
(1) 七月一一日の状況
〈証拠〉によれば、次のとおり認められる。
すなわち、昭和四七年七月一〇日頃からの降雨により、谷田川の水位は漸次上昇に向つていたが、翌一一日午前七時頃、久作橋附近においていまだ満水状態には至つておらず、橋と水面との間は約一〇糎程度の間隔があつた。しかし、同日午前八時前頃にはc点から若干の溢水が始まり、溢れ出た水は幅一米弱の水流となつて甲路へ流れ込んだが、いまだ原告ら居住地域へ浸水するまでには至らなかつた。そして、その後は雨が止んだため谷田川は減水し、c点からの溢水はなかつた。
(2) 七月一二日の状況
〈証拠〉を総合すると次のとおり認められる。
すなわち、七月一二日午前六時頃からの連続的降雨により谷田川は再び増水し、午前九時頃にはc点から溢水が始まり、溢れ出た水は甲路へ流れ込んだ。しかし、後記のとおり、甲路は土砂等の堆積により受水能力が小さかつたため、午前一〇時頃には満水状態となり、午前一一時頃にかけてまず原告尾崎行弘方において、甲路に直結した側溝の水と美容院店内の排水口から逆流して来た水とが店内に入り始め、また、原告ら居住地域のうち地盤の低い原告小辻容子、同中村房吉、同六山定安、同横枕政人、同西勝塔夫方等においても、いずれも下水管あるいは側溝から逆流した水が床下に浸水し始めた。そして、その後もc点からの溢水が続き、午後一時頃には、野崎参道の中で最も地盤の低い泉州銀行前道路において路面が甲路水面と同一となり、道路中央部で数糎冠水するに至つた。さらに、午後三時頃には、c点から野崎参道及び甲路方面へかなりの深さで水が流出しており、午後五時頃までには、原告小辻、同中村、同六山、同横枕方はいずれも床上浸水の状態となつた。そして、c点からの溢水状況は午後五時頃以後も同様であつたが、右時刻頃、東和建設前道路中央部では長靴でようやく歩ける状態であつた。しかし、その後もc点からの溢水が勢よく続いたため、午後七時頃には、同所において長さ約三〇糎の長靴でも歩行困難となつた。したがつて、同所での水深は三〇ないし四〇糎であつたと考えられる。ところで、野崎参道は、久作橋においてO・P4.22(大阪湾基準水位、単位メートル)、久作橋より約一〇〇米東方の東和建設前においてO・P3.85、さらに約一〇〇米東方の泉州銀行前が最も低くO・P3.81であり、同所から東は次第に地盤が高くなつているところ、右のとおり午後七時頃東和建設前道路の浸水の深さは三〇ないし四〇糎であつたから、同所の水位はO・P4.15ないし4.25程度であり、したがつて、同時刻頃原告ら居住地域の浸水位が谷田川未改修部分の堤防(O・P4.2)、すなわち谷田川の外水面と同一になり、以後はc点を含め、c点より上流の谷田川未改修部分の堤防が低くなつている部分から谷田川の外水が流出して原告ら居住地域全体が増水し、午後八時頃には比較的地盤の高い原告野村利之方においても浸水が始まり、原告ら居住地域は次第に床上浸水の状態となつて行つた。
(3) 七月一三日以後の状況
原告ら居住地域の浸水状態が七月一三日午前三時頃ピークに達したことは当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば次のとおり認められる。
すなわち、同日午後からは雨が小止みになつたこともあつて、ピーク時から幾分減水した程度の浸水状態が続き、翌一四日朝になつて被告大東市が設置した排水ポンプによつて次第に減水するに至つた。そして、前記原告野村方においては同日午後四時頃には床下から水は引いたが、原告ら居住地域全体についてみれば、浸水状態から完全に脱したのは同月一五日から一六日にかけてであつた。
(4) 浸水の主たる原因
以上認定の事実と後に認定する甲、乙、丙路からの溢水の事実とを総合すると、原告ら居住地域が浸水するに至つた主たる原因は、昭和四七年七月一〇日頃から降り続いた雨により、谷田川の未改修部分中極端に狭窄した部分であるc点附近から多量の水が溢水したこと及びこれに相前後して甲、乙、丙路からの溢水が加わつたことにあると認められる。
(5) 被告国、同大阪府の内水洪水の主張の検討
これに対し、被告国、同大阪府は、c点からの多量の溢水事実を否認し、原告ら居住地域の浸水は専らいわゆる内水(谷田川からの溢水以外の水)によるものである旨主張するので検討する。
まず、右被告らは本件七月豪雨の異常性を主張し、七月豪雨についてその主張のような雨量が観測されたことは当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、河川、特に谷田川のような小河川はその受水流域が大河川に比較して小さいところから、長時間にわたる総雨量の影響は大河川に比べると相対的に低く、むしろ短時間の雨量の影響の方が大であり、したがつて、小河川についてこれに影響を及ぼすべき雨量を問題とする場合は、長時間にわたる総雨量や二四時間雨量を基準とすべきではなく、一時間雨量またはそれ以下の時間当りの雨量を基準とすべきであること、七月豪雨の際の一時間最大雨量約二〇粍という数値は、一八八三年から一九七二年までの間、大阪管区気象台で観測された時間雨量の上位一〇位(第一〇位は51.0粍)にも入らず、また、右時間雨量の超過確率は0.96であつて一〇〇年間に九六回は記録されるというさほど珍しくない程度の雨量であることが認められる。したがつて、本件七月豪雨は、降雨時間が長く降雨量が多いという点では、受水面績の大きい大河川に与える影響が甚だ大きい豪雨であつたということができるとしても、谷田川のような小河川とその流域に関する限り、その影響の点において特に予測し難い異常な豪雨であつたということはできない。
次に、右被告らは、浸水の主な原因は国道一七〇号線の東側から多量の水が国道を越えて流れ込んだことや原告ら居住地域に降つた雨が滞溜したことによるものである旨主張し、〈証拠〉によれば、七月一二日午前一〇時頃から正午頃までの間及び翌一三日午前零時頃から午前三時頃にかけて、谷田川はa点附近でかなり溢水し、溢れ出た水は国道一七〇号線を越えて西側の農業用水路に流入して行つた事実が認められ、〈証拠〉によれば、この水が丙路に流入し、さらにそれが溢れて原告ら居住地域へ流入して行つたことが推認でき(なお、証人川村寿郎は、七月豪雨の際国道一七〇号線の農協附近でも相当量の水が国道を東から西へ越流していた旨証言するが、同所附近で越流があつたとしても、原告ら居住地域への影響はないことが、同証言によつて明らかである)、また、原告ら居住地域附近に降つた雨水が同所に滞溜したことも容易に推認できるところである。しかし、前記a点附近の越流水の水量がc点からの溢水に匹敵し、またはこれを超えるものであつたことを認定するに足る資料はなく、a点とc点との地理的状況及び位置関係、両地点と原告ら居住地域との相関々係、両地点からの越流及び溢水に関する前掲各証拠に照らすと、a点附近の越流水や原告ら居住地域附近に降つた雨水の滞溜が本件浸水の主たる原因であつたとは到底認めることができない。
また、右被告らは、c点からの溢水がほとんどなかつたことの証拠として、原告ら提出の本件水害の写真中にc点からの溢水状況を撮影したものがないことを指摘するので、この点につき検討するに、なるほど、原告提出の本件水害当時(七月一二日)の写真である検甲第一ないし第二三号証、第六〇、六一号証中には、c点からの溢水状況を直接、適確に撮影したものはないが、右写真はもとより訴訟を意識して撮影されたものではなく、浸水原因よりもむしろ浸水状況を主眼として撮影されたものであるから、c点からの溢水状況の適確な写真がないことをもつて直ちにc点からの溢水がほとんどなかつたものと推認することはできない。
さらに、右被告らは、浸水がc点からの溢水によるものではなく、内水によるものであることを谷田川の流量計算と内水滞水量計算によつて確証しようとしているのであるが、次の理由により、右被告らの水理計算に基づく内水洪水の主張はたやすく採用することができない。
すなわち、まず、右計算の基礎とされている数値の中には推測に基づくものが多く(例えば、a点における接近流速など)、その数値自体必ずしも正確を期し難いのであつて、谷田川のような小河川の場合は、基礎となる数値が僅かでも変動すれば結果に相当な差異をもたらすものであるから、その計算の過程がいかに合理的であつても、その基礎となる数値の正確性が客観的資料によつて確実に担保されない限り、その結果だけを軽々に採用することはできない。また、右被告らは、a点を流量計算の基点とした理由として、a点がc点の上流部分のうち最も狭少な部分であること、a点附近では国道上に越流水が生ずるが、その内水化の量を知るうえでもa点での検討が必要であることを挙げているが、〈証拠〉によれば、右被告らがc点への到達流量の計算の基点としてa点を選択していることは、同点がc点から遠距離にあること、a点が河川の遷移点にあたり流量も刻々と変化し、また、上流からの土砂の流入により河床の状況がしばしば変動すること及び上流からa点に到達した水は国道一七〇号線をくぐる暗渠のみでは下流へ流れ切れず、同国道の路面上を越流し、しかも、それは同所の地形上極めて乱れた形の越流になること等から必ずしも適切でないことが認められる。また、被告らは、c点への到達流量計算において、別紙図面(二)記載のA5流域から谷田川への流入量を零ないしこれに近いものと考えるべきであるとしているが、〈証拠〉によれば、A5流域の水は本件水害時においても、その一部が西又は南西の低地へ流出したほかは南津の辺水路を経てなお相当量の水が谷田川へ流入していた事実が認められるのであつて、右被告らの前提は客観的事実と一致していない。さらに、被告らの水理計算の解析結果によると、a点および別紙図面(二)記載e点において分流があり、外水が流量を減じてc点に到達するものとし、A5流域から谷田川への流入があるとした場合でも、c点から溢水が生じるのは七月一二日午後五時以降であるとしている(もし、A5流域から谷田川への流入がないとした場合は、c点からの溢水は全く生じないとしている)のであるが、〈証拠〉によれば、七月一二日午後二時頃には谷田川の水位が久作橋とほぼ等高かこれをやや越えていることが認められるところ、〈証拠〉によれば、久作橋はO・P4.22、c点天端はO・P4.20であることが認められるから、同日午後二時頃にはすでにc点からの溢水があることが右写真によつても明らかであり、この点からみても右の解析結果が客観的事実と矛盾するものであることが認められるし、また、現実にはそれより以前からc点より溢水していたことは前掲目撃者の証言、供述によつても明らかなところであるから、右の解析結果は軽々に採用することができない。
以上のとおりであつて、原告ら居住地域の浸水がc点からの溢水によるものではなく、いわゆる内水によるものである旨の被告国、同大阪府の主張は採用できない。
4 谷田川の管理の瑕疵と本件水害発生との因果関係
(1) 谷田川の管理の瑕疵
原告ら居住地域が四囲を天然堤防で囲まれた低湿地で湛水しやすい地域であり、これまでもしばしば浸水に見舞われて来た災害多発地域であることは当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば、近年宅地開発によつて従来は田であつた原告ら居住地域が急速に宅地化され、本件水害当時は住宅密集地域となつていたこと、原告ら居住地域のすぐ東方にある丘陵地帯も宅地開発等のため山林が伐採され、溜池が埋立てられたこと等により貯水能力を失い、降雨によつていわゆる鉄砲水が出る危険性が増大していたことが認められ、右事実に前述した次の事実、すなわち、谷田川は本件水害当時野崎駅前の約三二五米の区間が未改修のままであつて、そのほぼ上流端であるc点で川端が急激に、かつ、極端に狭くなつており、また、夫改修部分の河川上にまたがつて家屋が存在していたこと及び未改修部分については長らく浚渫がなされていなかつたため、c点及びその附近の河床にはかなりの土砂が堆積していたこと、したがつて、c点ではその上流部分に比べ加重が著しく制限されていたことを併せ考えると、谷田川が急激に増水したときは、c点から溢水する危険があり(現に本件水害時において同点から多量の溢水があつたことは先に認定したとおりである)、溢れ出た水は前記のような地形からして、原告ら居住地域に流入し、同地域に滞溜して浸水被害をもたらすであろうことは十分に予測できたものと認められる。
ところで、元来河川はその流域における雨水等を集めてこれを安全に下流へ流下させる機能を備えるべきものであり、これを管理する者は、右の機能に欠けることのないよう安全な構造を構え、かつ、常にその機能を果せるように管理すべき責務を有するのであつて、このことは河川法の規定によつても明らかである。これを本件についてみるに、前記のとおり、原告ら居住地域はその地形の特性上、浸水しやすい災害多発地域であるにもかかわらず、同所を流れる谷田川については、c点のような極端な狭窄部分が残されたままになつており、加えて、その浚渫も長年なされていなかつたのであり、右は、低湿住宅密集地域を流れる河川として通常備えるべき安全性を欠き、その管理に瑕疵があつたものといわねばならない。そして、前記のような地理的条件や谷田川c点の極めて特異、かつ、危険な状況に照らすときは、河川が元来自然公物であつて道路等の人工公物とは異なる点を考慮してもなお、右の判断を左右することはできない。
この点につき、被告国、同大阪府は、同大阪府においては古くから寝屋川水系の治水対策に力を注いで来ており、谷田川の未改修部分についてもこれを放置していたわけではなく、未改修部分の河川上にまたがつて存在する家屋立退が先決問題であつたため、被告大東市にその立退及び用地買収を委託し、鋭意折衝中に本件水害が発生したものである旨主張する。ところで、原告らは右家屋立退問題の主張を時機に遅れた防禦方法であるから却下されるべきであると申し立てたので、まずこの点につき判断するに、なるほど、右主張は被告国、同大阪府の昭和五〇年七月一六日付最終準備書面(本件第一七回口頭弁論期日において陳述)においてはじめてなされたものではあるが、原告らにおいても、既にその昭和五〇年七月一五日付最終準備書面(本件第一六回口頭弁論期日において陳述)中、被告らの行為が共同不法行為を構成する旨の主張において、右家屋立退について大阪府知事から大東市長に事務を委託した事実を摘示している(請求原因二、(四))のであるから、全く新たな事実の主張とはいえず、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものとも認められないから、原告らの右申立は理由がない。そして、〈証拠〉によれば、寝屋川流域には古来から低湿地が多く、しばしば浸水の災害を受けて来たので、被告大阪府はかねてからその治水工事を継続して施行し、特に昭和三〇年頃から本格的に寝屋川水系の総合的な改修事業に着手し、多額の費用を投入して遂次改修工事を進めて来た事実が認められるほか、谷田川についてもその改修計画が作成され、昭和四一年と昭和四四年に部分的な改修工事がなされたことは先に述べたとおりであり、また、〈証拠〉によれば、被告大阪府は昭和四六年六月頃同大東市に対し谷田川未改修部分河川上の家屋の立退及び用地買収事務を委託し、谷田川上の家屋立退問題の解決を図ろうとしていたことは認められるが、河川の改修は下流から逐次上流へ及ぼすのが通常の方法であるのに、昭和四一年の国鉄片町線複線化工事に伴ない、急拠c点附近から上流部分だけを先に拡幅整備したため、その下流部分にあたるc点に極端な狭窄部分が生じて結果的にはこれが放置された状態になつたのであるから、河川管理者としては、住宅密集地域にかかる特異な危険個所が残存する以上、緊急に改修する必要性が極めて高かつたものであり、他に優先しても早急にこれを除去整備すべき責務があつたものというべきである。したがつて、被告大阪府が寝屋川水系全体の改修及び家屋立退につき前記認定のような努力をしていたことはそれなりに評価することはできるが、右事実を考慮に入れてもなお、当該河川の安全性の確保のうえにおいて管理が十分であつたとはいうことができず、谷田川に対する管理の瑕疵の存在を否定することはできない。
(2) 本件水害発生との因果関係
前記認定の谷田川c点からの溢水状況及び谷田川の管理の瑕疵の存在の各事実によれば、本件水害は、後記認定の本件水路の管理の瑕疵と相まつて、谷田川の管理の瑕疵によつて生じたものであつて、その間に因果関係が存在することを認めるに十分である。被告国、同大阪府は、本件水害は異常な降雨と原告ら居住地域の地理的状況に起因する内水洪水によるものである旨主張するが、本件降雨が到底予測し得ないような異常降雨ではなかつたこと、したがつて、いわゆる不可抗力による災害ではなかつたこと及び本件浸水が内水洪水によるものとは認められないことはすでに述べたとおりであるから、右被告らの主張は採用することができない。また、右被告らは、(イ)昭和四七年九月台風の際、c点からの溢水がなかつたにもかかわらず、原告ら居住地域に浸水の被害が生じたこと、(ロ)その後甲路にポンプが設置されてからは、昭和四八年五月二日のメイストームの時にも全く浸水がなかつたこと、(ハ)昭和五〇年七月三日から四日にかけての降雨の際、谷田川が改修済みであるにもかかわらず、甲路のポンプの作動が遅れたため一部床下浸水がみられたことをもつて、本件水害が内水洪水によるものであることの証左であると主張するので検討するに、まず(イ)の点については、〈証拠〉によれば、昭和四七年九月台風の際の浸水は、谷田川A・B点間のシボレー工場前において堤防が決壊し、谷田川の外水が原告ら居住地域に流入したことによるものであることが認められ、右台風時の浸水の事実をもつて前記認定を左右することはできない。また、(ロ)の点については、検証の結果及び原告浅野友美本人尋問の結果によれば、昭和四八年五月のメイストームの時には、c点附近の谷田川沿いに土のうが積まれていたためc点からの溢水がなく、かつ、甲路にポンプが設置されていたため原告ら居住地域は浸水しなかつたことが認められるので、前記の認定を覆えすに足りるものではない。さらに、(ハ)の点については、昭和五〇年七月三日から四日にかけての降雨の際、原告ら居住地域において一部床下浸水があつたことは当事者間に争いがなく、当時谷田川が既に改修済みであつたことは原告らにおいて明らかに争わないところであるが、その浸水の程度は明らかではなく、浸水の主原因が被告ら主張の理由によるものであることを認めるに足るり証拠はないから、右浸水の事実をもつて本件水害が内水洪水によるものであることの証左とはなし難い。
5 被告国、同大阪府の責任
以上のとおり、本件水害当時谷田川について管理の瑕疵があり、かつ、右瑕疵と本件水害の発生との間に後記認定の本件水路の瑕疵と相まつて因果関係が認められる以上、被告国は国家賠償法二条一項により、同大阪府は同法三条一項により、それぞれ原告らが本件水害により、蒙つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。
ところで、右被告らは、河川について相当な財政的投資がなされ、最善の技術を用いて治水対策が講じられている限り管理者は免責される旨主張するが、現に谷田川の管理について前記のような瑕疵がある以上、財政的理由によつてその責任を免れることはできないというべきであり(最高裁昭和四五年八月二〇日判決、民集二四巻九号一二六八頁参照)、さらに、前記認定の谷田川の未改修部分の状況に照らすと、その部分の改修工事が技術的に不可能であつたとは到底認められない。
(二) 本件水路の管理の瑕疵(被告大東市の責任)について。
1 本件水路の概況とその管理者
(1) 本件水路の概況
本件水路が明治時代から存在し、昭和三二年頃までは農業用水路として利用されて来たが、現在では附近の宅地化に伴ない事実上家庭汚水や雨水の排除の用に供される排水渠としての機能のみを有しているものであり、その具体的状況が、乙路について、昭和四二年の谷田川改修の際谷田川合流点に存した排水ポンプが除去された点を除いて原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、右排水ポンプ除去の事実についてはこれを認めるに足りる根拠はない。
(2) 本件水路の管理者
地方自治法二条二項は、「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基く政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」と規定し、同条三項は、「前項の事務を例示すると、概ね次の通りである。但し、法律又はこれに基く政令に特別の定があるときは、この限りでない。」とし、同項二号は、「公園、(中略)、河川、(中略)、用排水路、堤防等を設置し、若しくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制すること。」と規定している。
ところで、前記のとおり、本件水路はもともと農業用水路として利用されて来たものであるが、その後附近の宅地化に伴ない、本件水害当時においては附近住宅の家庭汚水や雨水の排除の用に供される排水路としての機能のみを有していたものであり、したがつて、専ら附近地域住民の保健衛生の向上と浸水被害の防止に寄与する公共の施設となつていたこと、そして、本件水路は河川法の適用または準用がない、いわゆる法定外公共物であり(右の事実は当事者間に争いがない)、右水路の管理については、後記のとおり、国の事務に属するものとは認め難く、法律またはこれに基づく政令に特別の定めがあるとも認め難いことからすると、本件水路については、当該水路及び地域住民と最も密接な関係にある普通地方公共団体である被告大東市が、前記地方自治法二条二項、三項二号に基づきその管理に当るべきものといわねばならない。
なお、本件水路の管理事務が地方自治法一四条二項の必要的条例事項たる「行政事務」に該当するとすれば、条例を制定しない限り地方公共団体はその事務の処理を行ないえなくなる筋合である。ところで、いかなる事務が右「行政事務」に該当するかについては、それが権力的作用に基づき住民の権利義務に相当の制限や影響を及ぼす事務か否かを基準として決定されるべきものと解すべきであり、このような観点からすれば、本件水路の排水機能を維持、管理するという通常の管理行為事務に関する限り、それは専ら地域住民の福祉に奉仕する性質のものであつて、住民の権利義務に制限や影響を及ぼすことはほとんどないと考えられるから、必要的条例事項たる「行政事務」には該当しないというべきである。
これに対し、被告大東市は、本件水路は建設省所管の国有財産であつて、その管理権は、同被告主張の法令等により国の機関としての大阪府知事に委任されているものである旨主張する。そこで、本件水路が国有財産法三条二項二号にいう公共用財産に該当するか否かについて検討するに、まず、国有財産法二条は、「この法律において国有財産とは、国の負担において国有となつた財産又は法令の規定により、若しくは寄附により国有となつた財産であつて左に掲げるものをいう。」と規定しており、本件水路のような法定外公共物について、同条にいう「法令の規定」としては一応明治七年太政官布告一二〇号が考えられるが、右太政官布告の意図するところは、明治初年の地租改正にあたり、全国の土地につき地所の名称を区別し、租税賦課の対象となるべき土地を明確化することにあつたものであり、これによつて所有権の得喪変更を定めたものではないから、本件水路のような法定外公共物に民有地券が発行されなかつたとしても、そのことから直ちに本件水路が右太政官布告により官有地、ことに国有地に帰したものということはできず、その他本件水路につきこれを明確に国の所有とすべき根拠法令や資料は存しない。
以上のとおり、本件水路については、これが国有財産法三条二項二号の公共用財産に該当すると認めるべき明確な根拠法令や資料が存しないのであるから、右に該当することを前提とした同法九条三項、建設省所管国有財産取扱規則三条などはその適用がないものといわねばならず、他に本件水路を国または大阪府ないし大阪府知事に管理させることを定めた明確な根拠規定はない。
なお、原告らは本件第一六回口頭弁論期日において、本件水路が被告国の所有である旨の従来の主張を撤回し、被告大東市は右撤回に異議を述べたが、本件訴訟の経過に照らすと、原告らは、当初から地方自治法もしくは下水道法を根拠に、または事実上の管理を行なつていることを理由に被告大東市が本件水路の管理者である旨を主張して来たものであり、訴状において本件水路が被告国の所有である旨述べている点は、請求原因を構成する要件事実として述べたものではなく、単なる事情として述べたものであることが明らかであり、これに対し、被告大東市は、原告ら主張の地方自治法等に基づく管理責任を否認したうえ、本件水路は被告国のものであつて国有財産法の適用があり、その主張の法令等により大阪府知事にその管理が委任されている旨を主張しているものであつて、本件水路が国有である旨の同被告の主張は抗弁を構成する要件事実ではなく、単なる積極否認の一事実であるから、原告らの右陳述はいわゆる先行自白には当らず、その撤回も自白の撤回には該当しないから、これに対する被告大東市の異議は理由がない。また、同被告は原告らが右主張を撤回したことは、本件水路の管理権をその前提たる本件水路の所有権の帰属と分離して主張するものであり、右は時機に遅れた攻撃方法であるから却下されるべきであると申し立てるので判断するに、原告らは、前記のとおり、従来から本件水路の所有権の帰属とは関係なく被告大東市が本件水路の管理者である旨主張して来たのであるから、原告らが前記主張を撤回したからといつてこれによつて新たな主張をなしたとはいえず、被告大東市の右申立は理由がない。
次に、被告大東市は、本件水路のうち、甲、乙路の全部及び丙路の一部については、淀川左岸土地改良区がその維持、管理を行なつている旨主張するので検討するに、〈証拠〉によれば、昭和四四年一一月、淀川左岸土地改良区が甲路の管理者として東和建設との間で甲路の占用につき契約を結んでいる事実が認められるが、一方、〈証拠〉によれば、本件水路について昭和三二年頃以後灌漑用水路としての用途が廃止されたことに伴なつて、淀川左岸土地改良区は本件水路を全く管理していないことが認められ、右事実に照らすときは、前記契約の事実をもつて同土地改良区が本件水害当時も本件水路の管理者であつたとは認めることができず、被告大東市の右主張は採用できない。
2 本件水害当時の本件水路の状況
(1) 甲路について
前記のとおり、甲路は通称参道井路といわれ、原告ら居住地域の東方にある野崎観音への参道の南側に沿つて西進し、谷田川と片町線の下を内径六〇糎の暗渠管を通じサイフォン現象を利用して西方へ流下していたものであり、昭和三二年頃までは農業用水路として利用されて来たが、附近の宅地化に伴ない事実上家庭汚水や雨水の排除の用に供される排水路としての機能のみを有するようになつたものであるところ、検証の結果及び原告浅野友美本人尋問の結果によれば、原告ら居住地域はもと田であつたが、近年の宅地開発によりこれが埋立てられて住宅が密集するようになり、道路の舗装化も加わつて雨水の浸透率が低下し、さらに、人口の急増により下水費も増大していたことが認められる。そして、〈証拠〉によれば、原告ら居住地域の住民は、本件水路に土砂や塵埃が堆積し、排水不良による溢水の危険があつたので、被告大東市に対しその改修や浚渫をたびたび陳情していたこと、被告大東市は昭和四二年九月から昭和四六年七月までの間にその主張のとおり四回甲路の浚渫を行なつたことが認められるが、一方、〈証拠〉によれば、本件水害当時甲路には土砂、塵埃、廃棄物等が堆積し、甲路の途中にある東和建設前に埋設されていたヒユーム管(〈証拠〉によれば、その直径は八〇〇粍であることが認められる)も内径の半分程度が土砂でつまつており、また、谷田川と片町線の下を通じるサイフォン管の疎通能力も不良であつて、日常の家庭汚水や通常の雨水をようやく流せる程度でしかなかつたことが認められる。
(2) 乙路について
前記のとおり、乙路は北条一丁目五番地先附近から西進し、かつては谷田川に注いでおり、もと農業用水路として利用されていたところ、昭和三二年頃からは甲路と同様排水路となり、その後乙路と谷田川との合流点が土砂で埋められ、谷田川へは合流しなくなつたのであるが、〈証拠〉によれば、乙路は幅約1.5米の水路であつたが、谷田川との合流点が埋められた後は、流入した下水や雨水が全く流れなくなり常に汚水が滞溜するようになつたため、附近住民がその改修をたびたび陳情していたのであるが、浚渫や改修はなされず、本件水害当時は堀池のように汚水がたまり、全く疎通能力を欠いていたことが認められる。
(3) 丙路について
前記のとおり、丙路は東から西へ向う西支線水路からなり、これが一本に合して谷田川に合流しており、他の水路と同様昭和三二年頃からは汚水や雨水の排水路となつているのであるが、〈証拠〉によれば、丙路についても土砂が堆積し疎通が悪くなつたため、地域住民が再三陳情した結果、昭和四一年から四二年にかけて被告大東市においてこれを改修したのであるが、その後も土砂が堆積し、本件水害当時は合流点附近の谷田川の土砂堆積とも相まつて十分な疎通能力がなかつたことが認められる。
3 本件水路の溢水と浸水状況
〈証拠〉によれば次のとおり認められる。すなわち、丙路は七月一二日早朝その受水地域に降つたかなりの雨のため増水したが、前記のとおり、土砂の堆積のため十分な疎通能力がなかつたため、地盤の低い南側へ溢水し、溢れ出た水は丙路と乙路に狭まれた地域に流入した。一方、すでに認定したように、同日午前中には谷田川c点から溢れ出た水が甲路へ流れ込んだが、甲路もまた土砂、塵埃等の堆積により受水能力及び疎通能力が低かつたため間もなく溢水し、原告ら居住地域への浸水が始まつた。また、乙路が受水した雨水は、谷田川へは全く流入せず附近の田に流出し、そこから南方の甲路へ合流したが、甲路がすでに満水状態であつたため直ちに溢れ出し、甲路自体から溢れ出た水とともに原告ら居住地域へ流入した。そして、これらの溢水とc点附近からの流入水とが相まつて遂に原告ら居住地域が床上浸水するに至つた。
以上のとおり認められるところ、被告大東市は、原告ら居住地域の浸水は異常な降雨と低湿地であることによつて地域内の水が溢水して生じたいわゆる内水洪水による旨の被告国、同大阪府の主張を援用するのであるが、右主張が採用しえないものであることはすでに述べたとおりである。
4 本件水路の管理の瑕疵と本件水害発生との因果関係
(1) 本件水路の審理の瑕疵
国家賠償法二条一項所定の「公の営造物」とは、国又は公共団体の特定の公の目的に供される有体物及び物的設備を指称するところ、本件水路は、前記のとおり、実質上都市下水路として家庭汚氷や雨水の排除の用に供される物的設備であつて、被告大東市の管理にかかるものであるから、同条所定の「公の営造物」に該当することは明らかである。そして、本来都市下水路は、家庭汚水や雨水を完全に排除することによつて環境衛生を維持するとともに、これを安全に沈下させて浸水を防止する機能を備えるべきものであり、これを管理する者は、右の機能に欠けることのないよう安全な構造を備え、かつ、常にその機能を果せるように管理すべき責務を有することはいうまでもない。
ところで、原告ら居住地域が四囲を天然堤防で囲まれた低湿地で湛水しやすい地域であり、これまでもしばしば浸水に見舞われて来た災害多発地域であることは当事者間に争いなく、近年宅地開発によつて従来は田であつた原告ら居住地域が急速に宅地化され、本件水害当時は住宅密集地域となり、道路の舗装化も加わつて雨水の浸透率が低下し、さらに、人口の急増により下水量も増大していたことはすでに述べたとおりであり、また、〈証拠〉によれば、大東市においては近年地盤沈下が著しいことが認められるのであつて、右のような地理的特性に鑑みると、本件のような低湿住宅密集地にある水路は、家庭汚水や雨水を滞水、溢水せしめることなく、安全に谷田川又は他の排水施設に流下せしめる機能及び構造を備える必要性が特に高かつたものといわねばならない。
しかるに、前記のとおり、本件水害当時、丙路は土砂堆積のために十分な疎通能力がなく、乙路も埋立によつて谷田川への流入が全く遮断され、さらに、甲路もまた土砂、塵埃等の堆積により溢水し、谷田川と片町線の下を通じるサイフオン管の疎通能力も劣悪であつたのであり、これに原告ら居住地域の前記のような地理的特性を併せ考えると、原告ら居住地域に降雨等による溢水被害が生じることが容易に予測されたにもかかわらず、十分な浚渫、改修がなされず、排水ポンプの設置等もなされていなかつたものであり、以上の点において、本件水路は低湿住宅密集地域における都市下水路として通常備えるべき安全性を欠いていたものであつて、その管理に瑕疵があつたものといわざるをえない。そして、前記のような地理的特性に照らすときは、たとえ本件水路が自然公物であつて、道路等の人工公物とは異なる点があるとしてもなお、右の判断を左右することはできない。なお、本件水害当時、甲路に排水ポンプが設置されておれば、いわゆる内水や丙路、乙路から順次溢水して来た水も甲路で受水し、谷田川に排水しえたことは、前記認定の「本件水路の溢水と浸水状況」及び後記のとおり、昭和四八年五月二日のメイストームの際には甲路に排水ポンプが設置されていたため甲路からは溢水がなかつた事実から明らかである。
(2) 本件水害発生との因果関係
前記認定の本件水路からの溢水状況及び本件水路の管理の瑕疵の存在の各事実によれば、本件水害は、前記認定の谷田川の管理の瑕疵と相まつて、本件水路の管理の瑕疵によつて生じたものであつて、その間に因果関係が存在することを認めるに十分である。被告大東市は、七月豪雨の降雨量及び流入量自体が本件水路の受水可能限度を超えていたのであつて、本件水害は本件水路の浚渫又は排水設備の設置等によつて防止しうるものではなかつた旨主張するか、右は、各現場の写真であることは当事者間に争いなく、〈証拠〉によつて認められる次の事実、すなわち、昭和四八年五月二日のメイストームの際も大東市は七月豪雨に匹敵する豪雨に見舞われたが、被告大東市が昭和四七年一〇月下旬甲路西端に三〇馬力の排水ポンプを設置していたため甲路からの溢水はなく、またc点附近に土のうが積まれていたこともあつて、原告ら居住地域は浸水の被害を免れた事実に照らすときは、直ちには採用することができない。
5 被告大東市の責任
以上のとおり、本件水害当時本件水路について管理の瑕疵があり、かつ、右瑕疵と本件水害の発生との間に前記谷田川の審理の瑕疵と相まつて因果関係が認められる以上、被告大東市は国家賠償法二条一項により、原告らが本件水害により蒙つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。
(三) 被告国、同大阪府の責任と同大東市の責任との関係について。
原告らは、被告国、同大阪府の行為と同大東市の行為は共同不法行為を構成するものであるから通常責任を負わなければならない旨主張し、被告国、同大阪府は右主張は時機に遅れた攻撃方法であり却下されるべき旨申し立てるので、まず、この点につき判断するに、なるほど、右共同不法行為に関する法律上の主張は明示的には原告らの昭和五〇年七月一五日付最終準備書面(本件第一六回口頭弁論期日において陳述)においてはじめてなされたものではあるが、訴状における請求の趣旨自体が、被告国、同大阪府と同大東市に対し連帯して金員の支払を求めているものであること及び原告らが昭和四九年一二月二三日付第三回準備書面において、谷田川の管理の瑕疵と本件水路の管理の瑕疵とが共同して本件水害を発生させたものである旨主張していることに照らすと、原告らは右被告らの間に共同不法行為が成立することを当然の前提として訴訟を提起し、維持して来たことが明らかに看取され、また、共同不法行為が成立するための要件、すなわち民法七一九条の解釈は法律上の問題であり、さらに、原告らが主張する共同不法行為成立の基礎となる要件事実はすべて前記口頭弁論期日前にすでに主張されているものであるから、原告らの最終準備書面における右主張は全く新たな事実の主張とはいえず、単に従来の主張の法律的構成を詳細にふえんしたものに過ぎず、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものとは認められないから、被告国、同大阪府の右申立は理由がない。
ところで、一般に、共同不法行為が成立するためには、各人の行為がそれぞれ独立して不法行為の要件(故意・過失、権利侵害(違法性)、損害の発生、因果関係、責任能力)を備えていること及び行為者の間に客観的な関連共同性が存在することが必要である。しかし、右要件のうち、各人の行為と結果発生との間の因果関係については、共同行為と結果発生との間の因果関係の存在をもつて足りると考えるべきである。けだし、各人の行為と結果発生との間の個別的因果関係の存在を必要とするときは、その立証がなされた場合は各人は当然に民法七〇九条による責任を負うことになり、行為の関連共同性という要件を附加するところの共同不法行為の規定は無用のものとなるからである。
そこで、本件において被告らの間に共同不法行為が成立するか否かにつき控訴するに、国家賠償法二条は国又は公共団体に無過失損害賠償責任を課したものであるから、被告国、同大阪府と同大東市の間に共同不法行為が成立するためには、結局、損害の発生及び右被告らの共同行為と損害の発生との間の因果関係の存在並びに行為の客観的関連共同性の存在が要件であると考えられる。そして、原告らに本件水害による損害が発生したことは後記のとおりであり、また、本件水害は谷田川の管理の瑕疵と本件水路の管理の瑕疵とが相まつて生じたものであつて、被告らの共同行為と原告らの右損害との間に因果関係があることもすでに認定したとおりである。そこで、進んで右被告らの間の関連共同性につき検討するに、谷田川及び本件水路はいずれも原告ら居住地域の家庭汚水や雨水を排除すべき地形的、機能的関連性を有するほか、被告国、同大阪府の谷田川の管理と同大東市の本件水路の管理との間には次のとおり行政的関連性を有することが認められる。すなわち、被告国は谷田川の管理者であり、同大阪府は谷田川の管理費用を負担するものとして大阪地方計画において谷田川を含む寝屋川水系について全般的な改修計画を樹立し(前掲乙第二四号証)、これにのつとつて谷田川改修計画を作成してその改修工事を行なう一方、被告大東市においては、同大阪府の右計画を基礎として同市総合計画を樹立し(〈証拠〉)、また、前記のとおり、谷田川の改修に関連して昭和四六年六月頃には谷田川上の家屋立退について被告大阪府から委託を受けてその折衝に当つているのであつて、被告らの右行政上の施策は有機的に結びついているというべきである。そして、右のような機能的関連性と行政的関連性に加えて、本件水害が谷田川からの溢水と本件水路からの溢水とが一体となつて生じたものであつて、右溢水が時間的、場所的に接着していることを併せ考えると、被告らの間には密接な行為の客観的関連共同性が存在するものといわねばならない。そして、このような関連共同性が存在する以上、前記損害が一方の瑕疵にかかわりなく他方の瑕疵のみによつて生じたものと認むべき証拠もない本件においては、右被告らの瑕疵が並存することによつて、共同不法行為が成立するものというべきである。したがつて、被告らは連帯して原告らに対し、本件水害により原告らが蒙つた後記損害を賠償する責任を負うものといわなければならない。
三損害
(一) 包括一律請求について。
1 本件被害の状況と包括一律請求
〈証拠〉を総合すれば、原告らの本件水害による各家庭生活上の被害状況は、原告らが請求原因三、(一)、1(本件被害の実態と特質)(1)ないし(7)において主張しているとおりであることが認められ、また、家庭生活に関連した財産的損害についてもこれを金銭的に評価することは、後記原告宮城忠儀の場合の営業上の損害のごとく算出可能なものは別として、困難であることが認められる。
ところで、原告らは、本件水害によつて原告らが蒙つた損害は、その被害の特質に鑑みるときは、単なる財産的損害もしくは精神的損害又はその両者を概算したものではなく、原告らの家庭生活の利益が侵害されたことそれ自体であつて、これを直接包括的に金銭に評価すべき旨主張している。なるほど、不法行為における損害とは、当該不法行為による利益侵害そのものであつて、一個の利益侵害(社会通念上包括して一個と目される場合を含む)に基づく損害賠償請求権は一個であり、一個の利益侵害の内容たる財産上、精神上の各損害につきそれぞれ別異の損害賠償請求権が発生するわけではない。そして、本件水害による損害についても、特に前記認定の被害の状況を全体的に考察するときは、各原告らの家庭生活上の被害及びこれに密接に関連した被害は、社会通念上包括して一個の利益侵害とみることができ、その損害は原告らの家庭生活の利益侵害そのものであつて、一個であると考えるべきことは、原告ら主張のとおりである。しかし、不法行為から生ずる一個の損害を金銭的に評価する方法としては、その一個の損害の内容を財産上のものと精神上のものとに分析し、これを概算評価することはもとより可能であり、かつ、損害評価の方法としては、通常、右の方法によるのが最も妥当と考えられるところ原告らの損害が水害によるものであり、家庭生活の利益侵害による損害のうち財産的損害の金銭的評価が困難であることを考慮に入れても、いまだ右の評価方法が不当であるということはできない。したがつて、原告ら主張の包括評価の方法はいま直ちにこれを採用することができない。しかし、弁論の全趣旨によれば、原告らは本件水害による損害について右包括評価の方法が採用されない場合は、本件水害により著しい精神的苦痛を受けたことを理由にこれに対する慰藉料の支払を求め、家庭生活侵害の諸事情をすべて慰藉料算定における斟酌事由として主張する意思があることが認められる。
2 損害額
そこで、以下本件水害により原告らが蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料額について検討するに、原告らはいずれも本件水害により床上三〇ないし七〇糎に及ぶ浸水の被害を受け、浸水の中で日夜を問わず長時間にわたり洪水の恐怖にさちされたこと、浸水により日常生活において種々の不便を余儀なくされ、特に就寝、食事、用便については極端な不自由を強いられたこと、家屋や家財を汚損されその復旧及び清掃作業等に多大の労苦と出費をはらわなければならなかつたことはいずれも前記認定のとおりであり、原告らにほぼ同様に共通するこれらの被害の状況や本件水害の原因、態様、責任主体等諸般の事情を考慮し、かつ、本件水害による原告らの家庭生活上の財産的損害が金銭的に評価困難であることをも斟酌するときは、原告らが本件水害によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては各自五五万円を下らないものと認めるのが相当である。
(二) 原告宮城忠儀の営業上の損害
〈証拠〉によれば、同原告は肩書住所地において精肉販売業を営んでおり、また、大東市野崎一丁目二番二三号に豚の解体工場を所有していたものであるが、本件水害により店舗内に所有する冷蔵庫が水没損傷したため、その冷凍機の買替及び修理費用として日興冷機工業所に対し三〇万円の支払を余儀なくされ、よつて右同額の損害を蒙つたこと並びに本件水害当時少くとも二、四〇〇キログラムの豚骨付肉(仕入価格一キログラム当り少くとも四二五円)及び三、〇〇〇キログラムの冷凍ロース肉(仕入価格一キログラム当り九〇〇円)を在庫商品として保有していたところ、本件水害により右肉類が腐敗して商品価値を失つたため、これを北谷油肥工業所において一キログラム当り三円で肥料として売却処分せざるを得なくなり、よつて、次のとおり三七〇万三、八〇〇円の損害を蒙つたことが認められる。
(2400×425−2400×3)+(3000×900−3000×3)=3,703,800
同原告主張の右以外の損害についてはこれを認めるに足りる十分な証拠がない(〈証拠判断省略〉)。
そうすると、同原告は本件水害により営業上の損害として合計四〇〇万三、八〇〇円の損害を蒙つたものといわなければならない。
(三) 弁護士費用
原告らが本訴の提起、追行を本訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、前記認容額等に照らすと、原告らが被告らに対して本件水害と相当因果関係のある損害として請求しうる弁護士費用としては、原告宮城につき一〇万円、その余の原告につき各五万円をもつて相当と認める。
四結論
以上の次第であるから、被告らに対し連帯して六〇万円及び内金五五万円に対する本件不法行為の日である昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告宮城を除く原告らの各請求はいずれも理由があり、また原告宮城の請求は、被告らに対し連帯して四六五万三、八〇〇円及び内金四五五万三、八〇〇円に対する前同日から支払済みに至るまで前同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからいずれもこれを認容し、原告宮城の被告らに対するその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、なお、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして主文のとおり判決する。
(奥村正策 藤井正雄 辻中栄世)
損害明細書〈略〉